才蔵と小田井用水路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/14 02:22 UTC 版)
才蔵の主要な功績の一つである小田井は、宝永4年(1707年)に藩主吉宗の命を受けて着手した。才蔵は、第一期、二期工事として高野口町の小田を起点として打田町にいたる約27キロメートルの水路を施工した。天下の暴れ川である紀の川に堰を造るのは相当困難であり、出水のたびに流出した。小田井を通すあたりは河岸段丘が出入りしており、地形が複雑で、難工事であった。第一期工事(小田 - 那賀)は宝永5年(1708年)に、二期工事は(那賀 - 打田)は宝永6年(1709年)に完成させた。引き続き施工された第三期工事(打田 - 岩出)の完成には立ち会っていないようだ。 小田井の施工において、用水路が河川を横断する際には、地形に応じて次のような方法によった。 用水路が河川の底を横断するために、逆サイホン方式による伏越の利用。 用水路が河川の上を横断するために、木製の掛樋による通水橋の利用。 河川の水をせき止め、河川の水かさを上げることで、用水路と河川の水面の高さを等しくし、用水路の水量の補充を行う平面交差の利用。 小田井用水には掛樋が8か所ある。もともとは全て木製であったが、そのうち3か所「木積川渡井、龍之渡井、小庭谷川渡井」はレンガ造りのアーチ状で現在も見ることができる。増水時には橋脚が流されるなどの水害に見舞われる恐れのある四十八瀬川の横断掛樋(龍の渡井)には、橋台部が岩盤ということもあり、橋脚を橋台側の岩盤上に斜め掛けにするなど改良を重ねた記録が残る。 小田井用水路は、2017年10月10日メキシコ・メキシコシティーで開催された第68回国際かんがい排水委員会国際執行理事会において世界かんがい施設遺産への登録が決定された。
※この「才蔵と小田井用水路」の解説は、「大畑才蔵」の解説の一部です。
「才蔵と小田井用水路」を含む「大畑才蔵」の記事については、「大畑才蔵」の概要を参照ください。
- 才蔵と小田井用水路のページへのリンク