執権政治の確立とは? わかりやすく解説

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執権政治の確立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 03:43 UTC 版)

得宗」の記事における「執権政治の確立」の解説

平安時代末期摂津源氏源頼政知行国だった伊豆国の小豪族に過ぎなかった北条氏は、伊豆流罪となっていた河内源氏源頼朝の挙兵従い頼朝将軍とする幕府成立させる頼朝死後頼朝室の北条政子北条義時幕政主導し和田氏などの有力御家人排斥し、また承久の乱においても御家人統率して朝廷や反北条勢力抑えた3代将軍源実朝死による源家断絶後鎌倉幕府朝廷から迎え摂家将軍推戴し将軍地位形式的なものにする一方政務決裁には事実上トップである執権、その補佐である連署合議機関である評定衆を置く集団指導体制成立させる。これは形式的であっても御家人主君将軍であり、北条氏御家人第一人者に過ぎないという事情があった。 また、北条泰時分家重ねた北条一門統率するため、惣領家家政機関を置き、家政運営のための条文定めた

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執権政治の確立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:30 UTC 版)

鎌倉幕府」の記事における「執権政治の確立」の解説

1224年北条義時1225年北条政子大江広元といった幕府創業世代死去し義時の子北条泰時執権となった泰時は、世代交代期の混乱を防ぐため、叔父北条時房執権補佐役といえる連署当てる(ただし、時房は本来は泰時同役執権であったとする見方もある)とともに政治意思決定合議機関である評定衆設置し集団指導体制布いた。これには、基本的に鎌倉幕府は、鎌倉殿将軍)と個々御家人主従関係によって成り立っているという事情がある。北条氏鎌倉殿家来のひとりに過ぎず数ある御家人第一人者であっても主君ではなかったのである承久の乱後、急増した訴訟事件公平に処理するため、泰時明確な裁判基準定めこととした。これが御成敗式目呼ばれる法典武家法)であり、平易実際的な法令評価されている。後の室町幕府も、この法令原則として継承している。また、泰時は、式目制定当たって朝廷司法権侵害するものでないことを強調している。 こうした泰時一連の施策は、執権政治の確立と捉えられている。鎌倉幕府は、頼朝以来鎌倉殿個人的な資質依拠するところが大きく、その組織鎌倉殿家政機関発展させただけのものだった。しかし、泰時確立した集団指導体制明確な法令による司法体制は、個人的な資質などの不安定な要素左右されることはなく、安定した政治結果生み出すのだった泰時の孫北条時頼は、泰時執権政治継承していった。時頼は、司法制度充実に力を注ぎ1249年裁判の公平化のため、引付衆設置した一方で執権権力の強化にも努めた1246年、時頼排除企てた前将軍藤原頼経名越光時一派幕府から追放する宮騒動)と、1247年には有力御家人である三浦泰村一族討滅した(宝治合戦)。1252年幕府への謀叛荷担した将軍藤原頼嗣廃され代わりに宗尊親王を新将軍として迎えることに成功した。これ以後親王将軍宮将軍)が代々迎えられ親王将軍幕府政治参与しないことが通例となった。こうして、親王将軍の下で専制強めていった北条氏は、権力北条宗家集中させていった。時頼は、病のため執権職を北条長時譲ったが、実権握り続けた。これにより政治の実権執権地位乖離していく。北条宗家当時得宗徳宗)と呼んだことから、上記政治体制得宗専制という。

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