妻子・子孫
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荒尾善次の娘(善応院)との間に一女があり、信時の死後に池田恒興の養女となって飯尾敏成に嫁し、敏成戦死の後に下間頼龍に再嫁して、下間頼広(後の池田重利)を産んだ。このため、播磨新宮藩主池田家は信時の女系子孫にあたる。
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妻子・子孫
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妻子 正室:苅田義季の娘。荏柄尼西妙。為時の廃嫡後疎遠になる。 長男:北条為時 - 苅田流祖。当初は嫡男であったが、病により廃嫡となる。 継室:平基親の娘(九条頼経の女房:治部卿) - 長時が嫡男となって以降正室となる。弘長年(1262年)頃死去。 次男:北条長時(次郎) - 赤橋流祖、兄為時の廃嫡後に嫡男となる。 三男:北条時茂(弥四郎) - 常盤流祖。 長女:葛西殿(1233?-1317) - 北条時頼継室 側室:筑前局(備後局とも)、出自不明。 四男:北条業時(七郎) - 普恩寺流祖。 側室:少納言、または小御所。出自不明。 五男:北条義政(六郎) - 塩田流祖。 女子:安達泰盛室(藤岡)。 母不明 六男:北条忠時(十郎) - 坂田流祖。 女子:源具親室 女子:中村禅尼 - 法名、玲阿。戸次重秀(戸次氏)後室、戸次時親母。 静岡県にある東漸寺は重時の嫡男・石河式部勝重が建立したという伝説がある。 子孫 北条時宗は時頼と葛西殿との間の子とされる。従って時宗以降の得宗家およびその子孫は重時の血筋である。 最後の執権・赤橋守時や、足利尊氏の正室赤橋登子は次男・長時の曾孫(すなわち重時の玄孫)にあたり、また、尊氏自身も重時の玄孫にあたる(重時の三男・時茂の娘が足利家時との間に貞氏をもうけており、尊氏と同じく貞氏の子である高義と直義も重時の玄孫である)。そのため足利将軍家、関東公方家はみな重時の血筋である。
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