妻子を殺傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/30 05:20 UTC 版)
「西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件」の記事における「妻子を殺傷」の解説
1982年2月7日、Hは自宅奥6畳間で2時ごろに就寝したが、未明から熟睡できず、うとうとしていた。9時30分ごろに「録音テープ」というような声が聞こえたことで目を覚ましたHは「これは、かねてから嫌がらせの話し声・物音を録音しておいたカセットテープのことだ」と思ってそれを探したが見当たらなかった。そのため、傍らで眠っていた妻A(34歳没)に「お前、テープは」と尋ねたが、Aから「そんなもの知るか」と邪険な返事をされたため、「Aはテープを誰かよその人間に手渡し、素知らぬ顔をしている」と邪推して逆上し、咄嗟にAの殺害を決意した。そして、常に枕元(布団の下)に置いてあった刺身包丁〈刃渡り約21センチメートル (cm) 〉を手に取り、Aの腹部・胸部・腕部・左太腿などを多数回突き刺してAを殺害した。 H・A夫婦の長男B(事件当時11歳・大阪市立金塚小学校5年生)は母Aの悲鳴を聞いたことで自宅表3畳間で目を覚まし、布団の上に座っていたが、HはAを刺した直後に「Bを殺害することになってもやむを得ない」と未必の殺意を抱いた上で、「裏切ったな!」などと叫びながらBの胸部・腹部などを多数回切り付けたり突き刺したりした。Bは一命を取り留めたが、加療約3週間の怪我(腹部・右前胸部・右上腕刺創、左前胸部・右前腕・左上腕・左前腕・左手指への切創)を負った。
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