尹良親王とは? わかりやすく解説

尹良親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/06 14:35 UTC 版)

尹良親王(ゆきよししんのう/これなが―/ただなが―、正平19年/貞治3年(1364年[1]? - 応永31年8月15日1424年9月7日)?)は、『浪合記』『信濃宮伝』などの軍記に見える南朝皇族。それらの記すところによれば、後醍醐天皇の孫にして、中務卿宗良親王の皇子であり、母は井伊道政の女[2]とされる(『纂輯御系図』『浪合記』『井伊家系図』等)。父親王の討幕の遺志を継いで東国各地を転戦したと伝えられるが、その内容の信憑性が極めて乏しいため、歴史学の立場からは創作上の人物とされている[3]源尹良とも。


  1. ^ 『南朝編年記略』・『南朝公卿補任』記載の年齢から逆算。ただし、『氷室系譜』などは、正平9年7月5日1354年7月25日)の生誕とする。
  2. ^ a b 異説には、知久敦貞の女(『南山巡狩録』)や香坂高宗の妹・紀伊后(大鹿村の伝承)とする。また、この知久氏の女を親王の乳母とする系図もある。
  3. ^ a b c 黒河内谷右衛門『宗良親王全集』(甲陽書房、1988年)
  4. ^ 『寛政重修諸家譜[1]
  5. ^ 『信濃宮伝』には、柏坂の合戦の件は見えず、寺尾城入御を応永7年(1400年)1月のことと記す。
  6. ^ 『浪合記』には、寺尾城に長らく留まったとし、島崎城入御を応永31年(1424年)4月のことと記す。


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