尹良親王について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 03:25 UTC 版)
尹良親王は、宗良親王が井伊谷滞在中に道政の女重子(駿河姫)との間に生まれたと伝えられる(『纂輯御系図』『浪合記』『井伊家系図』)。歴史学の立場からは実在を疑問視する意見が多く、あくまで江戸時代に記された軍記物語の中での存在であると考えられる。『浪合記』などによれば、南朝方として父の後を継いで各地を転戦、源氏姓を賜る(後醍醐源氏の祖)と共に征夷大将軍に任じられたと伝えられる。その末裔を称する大橋氏が、北畠顕家を奉る霊山神社(社格:明治天皇選定による別格官幣社:建武中興十五社の1つ)の氏子総代となっている。 尹良親王伝説は、足利直義が知久祐超の娘あるいは妹を妾とし産んだ「之義」の伝説が元にあるとされる。しかし、『続本朝通鑑』に引用されている『信濃郷談』によれば、足利之義の伝説は信用に足らず、「則之良蓋宗良子乎(之良=之義は宗良親王の子か)」としているため、厳密には、初めに宗良親王の子の伝承があり、それと『鎌倉大草子』に記される「弘和年間に浪合で戦死した南朝某宮」が知久氏によって足利之義の伝承へと変化(この場合之義の戦死は応永3年3月24日(1396年5月2日)とされる)し、最終的に尹良親王伝説になったと考えられている。
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