きしゅりゅうり‐たん〔キシユリウリ‐〕【貴種流離×譚】
貴種流離譚
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貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)とは、物語の類型の一種であり、折口学の用語の一つ。若い神や英雄が他郷をさまよいながら試練を克服した結果、尊い存在となるとする説話の一類型[1]。貴種漂流譚(きしゅひょうりゅうたん)とも。折口信夫が一連の「日本文学の発生」をめぐる論考のなかで、日本における物語文学(小説)の原型として論じた概念である。その説くところは時期によって細部が異なるが、基本的には「幼神の流浪」をその中核に据える。折口は『丹後風土記逸文』の竹野郡奈具社の由来を引きつつ、天上の存在が地上(人間界)に下って、試練や流離の果てに再び天上の存在になる一定の筋があることを研究し、貴種流離譚の概念を確立した。
- 1 貴種流離譚とは
- 2 貴種流離譚の概要
貴種流離譚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 01:37 UTC 版)
ここから勝成の流浪生活が再び始まり、その足取りは、さまざまな伝説と憶測と逸話に彩られ、諸説紛々としている。最終的に備中国成羽の国人・三村親成の食客となった。文禄3年(1594年)9月、月見会の席上で作法上の問題で茶坊主の処置を無礼なりとして、これを斬って出奔するが、翌年正月、再び成羽に帰り三村家の食客になった。このとき勝成は世話役の娘に手を付け子供をもうける。これが室となる於登久(おとく)であり、この子供が後に福山藩第2代藩主となる勝俊である。
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