流離譚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 14:23 UTC 版)
父キュクノスはプロクレイアの死後、新たにクラガソスの娘ピロノメー(ピュロノエー)と結婚した。ところがこの後妻はテネースに道ならぬ恋をして言い寄ったが、テネースは拒んだ。このためピロノメーはことが露見することを恐れてテネースに関係を迫られたと偽りの訴えをし、エウモスポスなる笛吹きを証人に立てた。キュクノスはこれを信じ、自分の息子を娘のヘーミテアーもろとも箱に入れて海に流した。レウコプリュス島に漂着したテネースは島に住み、島を自らの名前にちなんでテネドス島と名づけた。後にキュクノスは真実を知り、エウモルポスを石打ちで殺し、ピロノメーを生き埋めにして殺した。またキュクノスは許しを請うためにテネドス島を訪れたが、テネースは怒って海岸の岩にかけられた船のもやい綱を斧で切断した。この故事にちなんで頑なに拒む人間のことを「テネースの斧で切った」と表現するようになった。 シケリアのディオドロスもまた同様の流離譚について言及しているが、詳細は省き、笛吹きが不利な証言をしたため、テネドス島にあるテネースの聖域に笛吹きが入るのを禁じたという話を伝えている。また実際には伝承に言われている通りではなく、テネースは自ら移民団を率いて対岸のレウコプリュス島に渡り、優れた王となって支配したため、人々は死後テネースの聖域を造営し、犠牲の儀式を歴史時代まで続けていたとも述べている。
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