足利義長とは? わかりやすく解説

足利義長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 02:47 UTC 版)

 
足利 義長
時代 平安時代後期
生誕 不明
死没 寿永2年10月1日1183年11月17日
別名 義良
官位 蔵人
主君 上西門院源義仲
氏族 河内源氏義国足利氏
父母 父:足利義康、母:不明
兄弟 源義清義長義兼
テンプレートを表示

足利 義長(あしかが よしなが)は、平安時代後期の武将足利氏初代・足利義康の子。上西門院蔵人[1]

父・義康から継承した下野国足利荘に拠った異母弟・義兼とは異なり、義長は同母兄の義清と共に京において活動、上西門院に仕えた。

その後、義清と共に源義仲の麾下に参加。寿永2年(1183年)の備中国水島の戦いにおいて義仲軍の総大将を務める義清に従い、伊勢平氏と対峙する。しかし船戦を得意とする平家方の前に義仲軍は大敗を喫す。義長は、兄・義清らと共に討死した[1]

脚注

  1. ^ a b 尊卑分脈 1904, p. 96.

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「足利義長」の関連用語

足利義長のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



足利義長のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの足利義長 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS