東岳とは? わかりやすく解説

とう‐がく【東岳】

読み方:とうがく

[一]中国五岳の一、泰山異称

[二]比叡山異称京都の東にあるところからいう。


東岳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 16:24 UTC 版)

東岳は各地の山岳の通称。

東岳(とうがく)

東岳(ひがしだけ)

東岳(あずまだけ)


東嶽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 12:51 UTC 版)

東嶽
1554年 - 没年不詳
没地 阿波国
宗派 臨済宗
寺院 興源寺
南禅寺
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東嶽(とうがく、1554年天文13年〉 - ?)は、安土桃山時代から江戸時代前期の臨済宗僧侶。俗名は蜂須賀 長存東岳栄俊とも記される。

伊勢国司北畠具教落胤。母は大匠院(まつ)。養父は蜂須賀正勝。異父弟は徳島藩祖である蜂須賀家政

生涯

母のまつ(大匠院)は北畠具教の側室であったが、離縁して後に尾張国蜂須賀正勝の正室となり、1558年永禄元年)に蜂須賀家政(後の徳島藩祖)を生んだ。

そのため長存は正勝の養子となり、後に出家し、京都の南禅寺で修行し臨済宗の僧侶となった。

異父弟の家政が阿波国を与えられると随行して国入りし、1586年天正14年)に江岸山福聚寺を開山した。その後、同寺は下助任町に移り、興源寺と改められた。

東嶽は興源寺の初代住職を務めたのち、1619年元和5年)に八万村(現在の徳島市八万町)に雲水庵(現在は廃庵)を開山し、隠居した。同庵には徳島藩家老である池田家(家政の外孫蜂須賀玄寅系)の歴代当主の墓碑がある。没後、雲水庵に墓碑が建てられた。

参考文献




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