石頭希遷とは? わかりやすく解説

せきとう‐きせん【石頭希遷】

読み方:せきとうきせん

700〜790]中国唐代禅僧六祖慧能(えのう)・青原行思(せいげんぎょうし)に師事衡山南寺石上に庵を結んで座禅をしたところから石頭和尚よばれた馬祖道一とともに禅宗振興尽力諡号(しごう)、無際大師。著「参同契」。


石頭希遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 13:22 UTC 版)

石頭希遷
久視元年 - 貞元6年12月25日
700年 - 791年2月2日
『仏祖正宗道影』(1880年)の木版画像
諡号 無際大師
生地 端州高要県
没地 南嶽衡山南台寺
宗派 石頭宗
寺院 南嶽衡山南台寺
青原行思
弟子 薬山惟儼、天皇道悟、丹霞天然
著作 参同契
テンプレートを表示

石頭希遷(せきとう きせん)は、中国・代の禅僧無際大師。俗姓は陳。端州高要県の出身。慧能の弟子である青原行思の弟子であり、その一派を石頭宗と呼んでいる。

略歴

初めは六祖慧能に師事していたが、その遷化にあい、吉州の青原行思のもとへ移り、法嗣となった。

742年(天宝元年)[注釈 1]、南嶽衡山南台寺に移り、その東側にあった石上に庵を編んだため、「石頭」と称されるようになった。門弟子は多かったが、当初、さほど目立った存在ではなかったようである。圭峰宗密は、牛頭宗の一派と見誤っている(『禅源諸詮集都序』)[3]

門下には、薬山惟儼や天皇道悟、丹霞天然らの著名な禅匠が見られ、馬祖道一洪州宗と勢力を競うまでになった。ただ、天皇道悟や丹霞天然は、石頭だけではなく、馬祖のもとでも修禅に励んでおり、逆に馬祖の弟子となる五洩霊黙が石頭のもとに居たように、両派の門下の往来が頻繁であったことを窺うことができる。

貞元6年(791年)、死去。

長慶年間(821年-824年)に、穆宗より無際大師の諡号が贈られた[注釈 2]

肉身仏

横浜市にある曹洞宗大本山總持寺には、石頭のものとされる肉身仏ミイラ)が安置されている(非公開)。

元々中国の湖南の寺院に祀られていたが、辛亥革命の際に寺院が兵火を受けたため、日本人が保護して日本に持ち込んだと伝わる[4]。1914年(大正3年)の大正博覧会に出展され、その際の写真が現存する[5]。その後青梅市に安置されていたが、日本ミイラ研究グループの手に渡り、さらに1975年(昭和50年)から總持寺で祀られることとなった[6]

『宋高僧伝』には、石頭希遷をミイラにしたとは書かれていない[7]。また、『南嶽総勝集』中巻には、楚寧寺は石頭希遷の遺骨の埋葬地とする記述がある[8]。さらに、『東京大正博覧会事務報告』には、博覧会に出展されたミイラは、達磨大師の第2高弟で、江西省汗洲府竜泉寺に祀られていたものとの説明がされている[9]。これについて安藤更生は、返還要求を受けないためのデタラメと推測している[10]。しかし、このミイラが石頭希遷なのか否かは確かめようがない[7]

著作

石頭希遷の著作として、2編の偈頌が伝わる。

参同契』は、修行の心得を説いたもので、日本の曹洞宗の寺院では朝課(毎朝のお勤め)や法要において読誦されている[11]

『草庵歌』は、 この世の喧騒から離れた、草ぶきの小さな庵で一人静かに暮らす心境が、禅において必要とされる心の有り様に通ずることを教示する[12]

伝記

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 天宝2年とするものもある[1][2]
  2. ^ 宋高僧伝』『景徳伝灯録』による。『祖堂集』は、僖宗(在位873年-888年)からとする。

出典

  1. ^ 鎌田茂雄「湖南省仏教寺院訪問記」『禅研究所紀要』第23号、愛知学院大学禅研究所、1994年3月、159頁。 
  2. ^ 天下法源:圣地南台寺” (中国語). 新浪佛学. 新浪 (2017年12月8日). 2025年6月22日閲覧。
  3. ^ 須山長治「石頭の宗枝」『禅学研究』第69号、禅学研究会、1991年2月25日、62頁。 
  4. ^ 安藤 1961, pp. 217–218.
  5. ^ 日本ミイラ研究グループ 1969, p. 147.
  6. ^ 松本 1993, pp. 218–227.
  7. ^ a b 日本ミイラ研究グループ 1969, p. 391.
  8. ^ 鈴木哲雄「湖南の禅宗の推移(上)」『禅研究所紀要』第11号、愛知学院大学禅研究所、1981年3月、235頁。 
  9. ^ 安藤 1961, p. 220.
  10. ^ 安藤 1961, p. 221.
  11. ^ ひろさちや『仏教の「しきたり」がわかる本』大和出版、1991年7月30日、267頁。 ISBN 4-8047-5540-3 
  12. ^ 柳田聖山「禅籍解題」、西谷啓治、柳田聖山 編『世界古典文学全集』 36B巻、筑摩書房、1974年2月15日、472頁。 

関連項目




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石頭希遷」の関連用語

石頭希遷のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石頭希遷のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石頭希遷 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS