大八賀村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/11 04:35 UTC 版)
おおはちがむら 大八賀村 |
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旧大八賀村役場(有形文化財)
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 | 編入 大八賀村 → 高山市 |
現在の自治体 | 高山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | ![]() |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 大野郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 63.71 km2. |
総人口 | 4,041人 (1955年) |
大八賀村役場 | |
所在地 | 岐阜県大野郡大八賀村松之木字七夕20-1 |
座標 | 北緯36度09分02秒 東経137度16分57秒 / 北緯36.15058度 東経137.28244度座標: 北緯36度09分02秒 東経137度16分57秒 / 北緯36.15058度 東経137.28244度 |
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大八賀村(おおはちがむら)は、岐阜県大野郡にあった村である。
現在の高山市の一部であり、平成の大合併以前の高山市東部に該当する。宮川支流の大八賀川沿いの村であった。
歴史
- 1695年(元禄8年) - 飛騨国が天領となる。
- 江戸時代末期、この地域は飛騨国大野郡大八賀郷であった。
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県により、飛騨国一円は筑摩県となる。
- 1875年(明治8年)1月31日 - 大野郡灘郷、大八賀郷のうち23ヶ村[1]が合併し、大名田村となる。
- 1876年(明治9年)8月20日 - 筑摩県のうち、旧・飛騨国の地域が岐阜県に編入される。
- 1892年(明治25年)5月19日 - 大名田村が分立。大名田村[2]、灘村[3]、大八賀村[4]となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 高山市に編入される。
学校
- 大八賀村立大八小学校(1965年高山市立東小学校に統合)
- 大八賀村立岩滝小学校 (現・高山市立岩滝小学校)
- 大八賀村立大八中学校(1977年岩滝中学校と統合。現・高山市立東山中学校)
- 大八賀村立岩滝中学校(1977年大八中学校と統合。現・高山市立東山中学校)
その他
- 1937年に建築された旧大八賀村役場は、高山市松之木町に現存(民間所有)し、2007年に高山市の文化財に指定されている[5]。
- 村名は「おおはちがむら」が正しい[6][7]。平凡社、角川書店の地名辞典では「だいはちがむら」とされているが、誤りである。尚、村域を流れる大八賀川の読みは「だいはちががわ」である[8]。
脚注
- ^ 上岡本村、松本村、下岡本村、桐生村、本母村、冬頭村、片野村、石浦村、千島村、花里村、西之一色村、七日町村、江名子村、三福寺村、松之木村、五名村、漆垣内村、大洞村、塩屋村、山口村、大島村、岩井村、滝村
- ^ 片野村、石浦村、千島村、花里村、西之一色村、七日町村、江名子村
- ^ 上岡本村、松本村、下岡本村、桐生村、本母村、冬頭村
- ^ 三福寺村、松之木村、五名村、漆垣内村、大洞村、塩屋村、山口村、大島村、岩井村、滝村
- ^ “旧大八賀村役場”. 高山市. 2013年5月16日閲覧。
- ^ 昭和二十六年 岐阜県市町村勢要覧 P.571。
- ^ 大八賀村史(荒川喜一著、大八賀財産区発行、1971年)
- ^ 一級河川神通川水系 宮川圏域河川整備計画 (PDF) (岐阜県)
関連項目
固有名詞の分類
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