ヤレーマ・ヴィシニョヴィエツキとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヤレーマ・ヴィシニョヴィエツキの意味・解説 

ヤレーマ・ヴィシニョヴィエツキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 02:41 UTC 版)

ヤレーマ・ヴィシニョヴィエツキウクライナ語: Ієре́мія-Миха́йло (Яре́ма) Кори́бут Вишневе́цький)、イェレミ・ミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィェツキ[1]ポーランド語: Jeremi Michał Korybut Wiśniowiecki)、1612年8月17日[2]1651年8月20日)は、ヴィシュネヴェーツィウクライナ語版ルブヌィホロールウクライナ語版に知行地を持っていたウクライナである。ポーランド・リトアニア共和国に仕えるルーシリトアニア系の古い貴族の家系であるヴィシニョヴィエツキ家ウクライナ語版の家長で、当代きってのマグナートであった。コルィーブトウクライナ語版紋章の名称。軍事に秀で、1646年からルーシ県長官を務めたほか、プシェムィシルプシャースヌィシュポーランド語版ノヴィ・タルクハーデャチカニウの長官を歴任した。ウクライナの歴史家ミハイロ・フルシェフスキーによれば、彼はその時代においてウクライナ・ポーランドはおろか、全ヨーロッパで一番の富裕な貴族であったという。今日のポルタヴァ州と周辺州の一部に当たる広大な地域がヴィシニョヴィエツキ領(Вишневе́ччина)と呼ばれた。


  1. ^ イェジ・ルコフスキ/フベルト・ザヴァツキ著、河野肇訳『ポーランドの歴史』創土社2007年ではヴィシニョヴィェツキ、ステファン・キェニェーヴィチ編、加藤一夫/水島孝生共訳『ポーランド史』恒文社1986年ではヤレマ・ヴィシニョヴェツキ伊東孝之/井内敏夫/中井和夫編『新版世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』山川出版社1998年ではヴィシニョヴィエツキと表記。
  2. ^ Ilona Czamańska Wiśniowieccy - monografia rodu, Poznań 2007 ISBN 978-83-7177-229-0 (ポーランド語)
  3. ^ Щербак В. О. Вишневецький Ярема // Енциклопедія історії України — С. 519. (ウクライナ語)
  4. ^ Ярема Вишневецький застерігає у заповіті 1651 р. про непорушність православного храму Вишневецького замку, «gdzie depositoria ciał rodziców moich zostawają», наказуючи утримувати його «w pożądku wszelakim, poprawach structury swojej i innych pobożnych respektach». Заповіт опубліковано Владиславом Томкевичем: Misięcznik Heraldyczny. — Lwów, 1930. — R. 3. — S. 67-77. Підтвердження кн. Яремою фундацій своїх батьків задніпровським православним монастирям див.: Tomkiewicz W. Jeremi Wiśniowiecki (1612-1651). — Warszawa, 1933. — S. 109. Наталя ЯКОВЕНКО. Релігійні конверсії: спроба погляду зсередини // Наталя ЯКОВЕНКО. ПАРАЛЕЛЬНИЙ СВІТ. Дослідження з історії уявлень та ідей в Україні XVI-XVII ст. Київ 2002. (ウクライナ語)


「ヤレーマ・ヴィシニョヴィエツキ」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ヤレーマ・ヴィシニョヴィエツキのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヤレーマ・ヴィシニョヴィエツキ」の関連用語

ヤレーマ・ヴィシニョヴィエツキのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヤレーマ・ヴィシニョヴィエツキのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヤレーマ・ヴィシニョヴィエツキ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS