ルーシ県とは? わかりやすく解説

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ルーシ県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/23 02:11 UTC 版)

ルーシ県
Руське воєводство(ウクライナ語)
Województwo ruskie(ポーランド語)
Palatinatus Russiae(ラテン語)
1434年 - 1772年
(国旗) 県章

  ポーランド・リトアニア共和国におけるルーシ県(1635年)。
公用語 ルーシ語ポーランド語ラテン語
首都 リヴィウ
県知事
1437年 - 1450年 ペトロ・オドロヴジュ(初)
面積
1770年 約55万km²
人口
1770年 約149万人
変遷
1434年 建設
1772年 廃止

ルーシ県ウクライナ語: Руське воєводство, ポーランド語: Województwo ruskie, ラテン語: Palatinatus Russiae)は、1434年から1791年にかけて存在したポーランド王国の地方行政単位である。ポーランド・リトアニア共和国の県(ヴォイェヴォツトフォ)の一つ。小ポーランド州ポーランド語版に属す。リヴィウを中心としたハルィチ地方とポジーリャ地方の西部を含んでいた。ルテニア県とも。

概要

1349年ルーシ系の国の一つ、ハールィチ・ヴォルィーニ王国(ルーシ王国)のボレスワフ・ユーリー2世王がなくなると、その王国の継承をめぐって隣国のリトアニア大公国ポーランド王国ハールィチ・ヴォルィーニ戦争を開始した。その結果、リトアニアは北のヴォルィーニ地方を、ポーランドは南のハールィチ地方を手に入れた。1434年にポーランド国王ヴワディスワフ2世はハールィチ地方にルーシ県を設し、自らがルーシの君主であると主張した。ハールィチ地方で最大の都市リヴィウ県庁県知事ヴォイェヴォダ)の所在地となり、県裁判はスドーヴァ・ヴィーシュニャに置かれた。

ルーシ県の人口の過半数はルーシ人であった。彼らは農村部を中心に暮らしていたが、都市や町などでポーランド人ユダヤ人アルメニア人ドイツ人などの民族と共に住んでいた。1677年の時点で、ルーシ県内には3000以上の村と100以上の町が存在した。

1772年ポーランド・リトアニア共和国の分割に伴い、ルーシ県はオーストリア帝国に併合された。県域はガリツィア・ロドメリア王国に再編成された。ホルム郡はロシア帝国の領土となった。

現在、旧ルーシ県域はウクライナリヴィウ州テルノーピリ州イヴァノ=フランキウシク州ベラルーシブレスト州ポーランドポトカルパチェ県に当たる。

行政区分

タンネンベルクの戦い (1410年)における諸州の騎士の軍旗。

  • 県庁:リヴィウ
  • 県裁判:スドーヴァ・ヴィシュニャ

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