支那事変記念章とは? わかりやすく解説

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支那事変記念章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 23:22 UTC 版)

記念章」の記事における「支那事変記念章」の解説

支那事変記念章 表面 裏面 綬の配色 最後に制定され記念章である。原型製作は加藤正巳。章の表面桜花は「一億国民銃後の赤誠」を表現したものとされる1942年昭和17年7月6日銃後において総力戦遂行業務従事し軍務幇助する者を表彰する記念章が必要であるとして、「支那事変銃後奉公記章」の制定求め賞勲局請議が出され結果、「支那事変記念章」の名称で制定される至った記念章制定の背景には、それまで軍人軍属以外の者が軍務幇助して功績挙げた場合、その表彰従軍同様に従軍記章授与もっぱら済まされていたのに対し日中戦争続いて太平洋戦争へと戦線拡大した当時国家総動員法の下で国民軍事的奉仕活動従前戦争よりも大規模化多様化したため、特別に記念章設けて軍務幇助貢献があった者へ授与する必要が出てきたことがある官公職議員防空警防関係、刊行出版物関係、貯蓄金融公債関係、学校青少年団・宗教団体関係、農林水産業公共団体関係、商工業公共団体関係、電気・通信船舶航空関係鉄道運輸関係、軍人援護社会事業関係、その他、というように官民内地外地区別なく、合計470万人という広範囲かつ多数人々に同章を授与することが計画されていた。賞勲局提出した書類の上では、先に定められ支那事変従軍記章との関係に注意払われ両者区別明確にする必要から、支那事変従軍記章受章者へは支那事変記念章を授与しないこととされた。その後、「支那事変」の呼称が「大東亜戦争」へ吸収統合され1940年4月29日以降支那事変従軍者の多く論功行賞大東亜戦争のそれに一括されると従軍記章記念章定めた勅令改正され新たに制定され大東亜戦争従軍記章授与された者には支那事変従軍記章および支那事変記念章を授与しないこととされた。しかし実際には、支那事変記念章の授与必要な奏請の手続き行われないうちに敗戦迎えることとなり、そのまま1946年3月29日支那事変従軍記章大東亜戦争従軍記章とともに廃止された。 制定法令 - 支事変記念章令(昭和17年9月25日勅令第658号、昭和21年3月29日勅令177号により廃止授与対象 - 支那事変遂行に関して別の貢献があったが、支那事変従軍記章授与対象ではない者 意匠章 - 直径3cm円形青銅表面 - 桜花全面あしらった上部菊紋掲げた裏面 - 中央縦書きで「支那事変記念章」と記す 環 - 円形青銅 綬 - 幅3.6cm・配色支那事変従軍記章のそれと同じ

※この「支那事変記念章」の解説は、「記念章」の解説の一部です。
「支那事変記念章」を含む「記念章」の記事については、「記念章」の概要を参照ください。

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