軍旗の意匠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 18:10 UTC 版)
「旭日旗」も参照 上述の通り、「帝国陸軍の軍旗の意匠たる旭日旗」は当時から有名な存在であったと同時に、その意匠は現代の今日に至るまで多方面で使用されることとなった(日章旗と同じく各サイズの旭日旗が大量に生産され軍隊のみならず民間においても広く普及していた)。なお、日本において「旭日」という概念・意匠自体は比較的古くから知られていたものの、「旭日旗」として公式に考案・採用・規定されたのはこの「陸軍御国旗(軍旗)」が史上初めてである。 授与対象が歩兵連隊と騎兵連隊のみであったのにもかかわらず、軍旗が帝国陸軍の象徴に位置づけられていた一例として、元帥たる陸海軍大将が佩用した1898年(明治31年)制定の「元帥徽章」や、明治二十七八年従軍記章・明治三十七八年従軍記章・大正三四年従軍記章/大正三年乃至九年戦役従軍記章・支那事変従軍記章といった各戦役の従軍記章では、その意匠に軍旗を使用していた。また、陸海軍の予備役軍人や未入営補充兵ら在郷軍人が入会する組織、帝国在郷軍人会の区町村単位の分会が保有する「会旗」は歩兵連隊軍旗をモチーフとしたものであった。 特殊な例として、1898年(明治31年)に慶應義塾(慶應義塾大学)が、軍旗を制作・納入している寿屋商店より特別の許可をもって制作途上の軍旗を購入している。これは、慶應義塾が他校に先駆けて独自に発足させた慶應義塾生徒隊(兵式操練を行う団体)の隊旗として導入したものであり、旭日旗自体はそのままに竿頭を塾章であるペンマークに、房は浅葱色に変え、軍旗では連隊の隊号を記入する余白には福澤諭吉によって「慶應義塾生徒隊」の文字が書かれてあった、翌、1899年(明治32年)3月15日には福澤別邸において隊旗授与式が行われている。 また、チベットの国旗(軍旗)の意匠は、その考案に青木文教が関与していたこともあり間接的に帝国陸軍の軍旗(旭日旗)の意匠の影響を受けている。 西南戦争を描いた錦絵。陸軍御国旗の意匠の旭日旗(小旗)を手に戦う新政府軍(帝国陸軍)の将兵が描かれている(早川松山画 1880年(明治13年)) 1895年(明治28年)、日清戦争・威海衛の戦いの戦勝を祝賀する慶應義塾によるカンテラ行列。軍旗の意匠の旭日旗および、旭日を描画した旗や看板を掲げている 軍旗を意匠に取り込んだ元帥徽章 軍旗を意匠に取り込んだ従軍記章(明治三十七八年従軍記章) 軍旗を意匠に取り込んだ従軍記章(支那事変従軍記章) 入営旗(入営者を祝賀する旗)に描かれた軍旗の意匠の旭日旗 出征旗(出征者を祝賀する旗。画像は軍用犬)に描かれた軍旗の意匠の旭日旗
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