軍旗・軍艦旗としての旭日旗とは? わかりやすく解説

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軍旗・軍艦旗としての旭日旗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:22 UTC 版)

旭日旗」の記事における「軍旗・軍艦旗としての旭日旗」の解説

1870年4月17日明治天皇東京駒場野において薩摩藩長州藩など各藩兵の調練視察することとなったが、日本の軍隊表象兵士意気顕揚するためとして陸軍初の聯隊旗用いられた。この際用いられたのが16条の光線描いた旭日旗である。曾我祐準中将回想によれば日光の端が尖っている形で提出したところ、「金平糖看板のようだと良い反応得られなかったため、日光部を拡大して提示したところ好反応得られたという。この旗は当日のみの使用であったが、6月13日明治3年5月15日)の「明治3年太政官布告355号」で「陸軍御国旗陸軍御國旗)」として同じ意匠の旗が採用された。この陸軍御国旗は、日章日章旗同じく中央配置し光条(線)の数を皇室紋章である十六(弁)八重菊花紋章)と同じく16紅白八重見立てた場合同じく32)とした十六旭日旗であり、兵部省陸軍省前身)において考案された。これは日章旗幕府陸軍軍旗として採用したため、それと敵対した新政府軍系譜たる陸軍新たな象徴たる軍旗(=旭日旗)が必要とされたことによる新生日本各藩統合陸軍シンボルであるこの陸軍御国旗は、近代陸軍編制基幹部隊である連隊対し授与されるもので、廃藩置県終わり本格的に陸軍発足したのちの1874年明治7年1月23日大元帥である天皇明治天皇)から近衛師団隷下近衛歩兵第1連隊近衛歩兵第2連隊親授されている。なお、この軍旗授与式において明治天皇は「近衛歩兵第一連隊編制成ルヲ告ク 仍テ今軍旗一旒ヲ授ク 汝軍人協力同心シテ益々武威発揚シ以テ国家保護セヨ」の勅語軍旗と共に連隊に賜っており、当時から「陸軍御国旗」を指して軍旗」と称す事は極めて一般的であった1879年明治12年12月2日、「明治12年太政官布告130号」によって、従来陸軍御国旗旭日意匠竿頭菊花紋章そのままに、縦横寸法を1m以下にし四方に房を付けたものにされ、正式名称一般呼称であった軍旗」と変え改め制定し直された。この軍旗歩兵連隊および騎兵連隊授与されたことから、俗称として「連隊旗聯隊旗)」とも呼称されている。 その陸軍に遅れること19年後の1889年明治22年)、「明治22年勅令111号」で従来日章旗から変更されるかたちで、海軍陸軍軍旗の意匠旭日旗)を流用し日章位置旗竿側に寄る旭日旗を「軍艦旗」として制定している。 日本陸軍のものは、軍旗#大日本帝国陸軍参照日本海軍のものは、軍艦旗#日本の軍艦旗・自衛艦旗大日本帝国海軍の旗章参照明治時代後半においては「平和鎮静国是トシカモ武勇ニシテ外辱ヲ受ケス一旦緩急アルニ当テハ武勇ヲ以テ国威世界ノ上ニ輝カセ」と解釈されており、1930年代には、海軍省軍艦旗について、「其の光線御稜威四海輝かせといふ意義有するものと考へられる」と説明している。

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