埼玉県官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 18:56 UTC 版)
明治3年(1870年)3月4日民部省を退官し、和歌の同門間島冬道浦和県知事に招かれ、4月2日浦和県史生、明治4年(1871年)8月2日准史生、10月17日十五等出仕となった。埼玉県に改組後、11月14日改めて十五等出仕となり、第一課(庶務課)において簿書・粕壁支庁詰、記録、駅逓係等を担当した。 1879年(明治12年)埼玉県官等で創刊した『麗和新誌』では和歌の部を担当し、県令白根多助、宮内省文学掛近藤芳樹を評者に迎えた。1882年(明治15年)白根が死去すると、遺族白根勝二郎の依頼で遺稿集『梅園余香』の編集に関わった。
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