前田利定とは? わかりやすく解説

前田利定


前田利定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/23 01:15 UTC 版)

前田利定

前田 利定(まえだ としさだ 1874年明治7年)12月10日 - 1944年昭和19年)10月2日)は、日本の政治家、華族子爵)。逓信大臣(第26代)、農商務大臣(第34代)を務めた。東京府出身。

経歴

加賀前田家の分家の一つである旧七日市藩主家に、最後の藩主(藩知事前田利昭の子として生まれる。

1894年(明治27年)、日清戦争歩兵中尉として従軍。1902年(明治35年)、東京帝国大学法科大学を卒業[1]。その後、司法官試補となる[1]1904年(明治37年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[2]研究会に所属し1944年(昭和19年)2月2日に辞職するまで在任した[1][3]

1922年大正11年)に加藤友三郎内閣の逓信大臣となり初入閣[4]1924年(大正13年)、清浦内閣の農商務大臣として再び入閣[4]。1944年(昭和19年)1月、体調を崩し、10月に死去した。死後、勲一等瑞宝章を受章した。

他に、研究会常務委員、鉄道会議議員、議員制度調査会委員などの要職を歴任した[1]

歌人としても知られ、佐佐木信綱に師事した[4]

栄典

親族

系譜

脚注

  1. ^ a b c d 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』55頁。
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、13頁。
  3. ^ 『官報』第5131号「帝国議会」1944年2月23日。
  4. ^ a b c 『群馬新百科事典』689頁。
  5. ^ 『官報』第3026号「叙任及辞令」1922年9月1日。
  6. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1938年2月11日。
  7. ^ 『官報』第5321号「叙任及辞令」1944年10月7日。
  8. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻、538-539頁。

参考文献

  • 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職
先代
岡野敬次郎
農商務大臣
第33代:1924年
次代
高橋是清
先代
野田卯太郎
逓信大臣
第26代:1922年 - 1923年
次代
犬養毅
日本の爵位
先代
前田利昭
子爵
七日市前田家第2代
1896年 - 1944年
次代
前田利民



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