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山中秀二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:54 UTC 版)

山中秀二郎

山中 秀二郎(やまなか ひでじろう、1879年明治12年)12月15日[1]1944年昭和19年)3月1日[2])は、日本検事鉄道官僚貴族院男爵議員

経歴

陸軍中将男爵山中信儀の二男として生まれ、1926年大正15年)5月15日に男爵を襲爵した[1][3]1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業[1]。翌年に司法官試補となり、東京地方裁判所・区裁判所検事、広島地方裁判所・区裁判所検事、福岡地方裁判所・区裁判所検事を歴任した[4]1923年(大正12年)、東京鉄道局副参事に転じ、水戸運輸事務所長、人事係長、参事、鉄道省事務官、鉄道監察官を歴任した[1][4]

1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[5][6]公正会に所属して活動し死去するまで在任した[7][8]

その他に富岩鉄道株式会社取締役を務めた[9]

親族

脚注

  1. ^ a b c d 人事興信録 第10版 1934.
  2. ^ 『官報』第5142号、昭和19年3月7日。
  3. ^ 『官報』第4117号、大正15年5月17日。
  4. ^ a b 貴族院要覧 1940.
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)昭和21年12月増訂』48頁。
  6. ^ 『官報』第3758号、昭和14年7月17日。
  7. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』88頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)昭和21年12月増訂』52頁。
  9. ^ 人事興信録 第12版 1939.

参考文献

  • 人事興信所編 『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。 
  • 人事興信所編 『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。 
  • 『貴族院要覧(丙) 昭和15年12月増訂』貴族院事務局、1940年。 
  • 『貴族院要覧(丙)昭和21年12月増訂』貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


日本の爵位
先代
山中信儀
男爵
山中(信儀)家第2代
1926年 - 1944年
次代
山中信博



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