前田利春とは? わかりやすく解説

前田利春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 07:38 UTC 版)

 
前田利春/利昌
絹本著色前田利春像
生誕 不明
死没 永禄3年7月13日1560年8月4日
別名 利昌
父母 父 : 前田利隆
長齢院
前田利久、前田利玄、前田安勝前田利家佐脇良之前田秀継、寺西九兵衛室。
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前田 利春(まえだ としはる、? - 永禄3年7月13日1560年8月4日))は、戦国時代武将尾張国荒子城主。別名利昌(としまさ)。通称は蔵人、縫殿助。父は前田利隆とされるが、史料が乏しく実在したかどうかは疑問であり、利春は事実上の加賀藩前田家などの始祖にあたる。室は竹野氏の娘(長齢院)。子に前田利久、前田利玄、前田安勝前田利家佐脇良之前田秀継、寺西九兵衛室。

経歴

尾張国で林秀貞与力として、織田氏に仕え、2千貫を知行して尾張荒子城(名古屋市中川区)の城主を務める。

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いの後に死去した。戒名は道機庵休岳居士。 跡を嫡男の利久が継いだ。墓所は石川県七尾市の長齢寺、肖像画も所蔵されている。





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