仕官・小姓時代
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天文7年12月25日(1539年1月15日)、尾張国海東郡荒子村(現・名古屋市中川区荒子)において、その地を支配していた土豪・荒子前田家の当主である前田利春(利昌とも)の四男として生まれる。幼名は犬千代。荒子前田家は利仁流藤原氏の一族とも菅原氏の一族ともいわれるが、確かなものではない。当時の領地は2,000貫だった(利家記)。 生年に関しては、これまでは『松雲公御考記』などの前田家側の記録から天文7年12月(1539年1月)説が有力だったが、近年では、秀吉が没した時に利家が「耳塞ぎ餅」を行ったとする伝えをもとに秀吉と同年とする天文5年(1536年)を生年とする説や、これを訂正した天文6年(1537年)を生年とする説 が提示されている。 はじめ前田氏は、織田家筆頭家老の林秀貞の与力であったが(『信長公記』『加賀藩史稿』)、天文20年(1551年)ごろに織田信長に小姓として仕える。若いころの利家は、短気で喧嘩早く、派手な格好をしたかぶき者であった。 天文21年(1552年)、尾張下四郡を支配する織田大和守家(清洲織田氏)の清洲城主・織田信友と信長の間に起こった萱津の戦いで初陣し、首級ひとつを挙げる功を立てる(村井重頼覚書)。その後、元服して前田又左衞門利家と名乗った(又四郎、孫四郎とも)。
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