仕切町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 17:28 UTC 版)
二重高欄が朱塗りで細かな彫刻と金彩をまとった曳山だったが、1882年(明治15年)5月の大火では鉾留と本座を、1938年(昭和13年)9月の大火では前立人形の頭部と衣装を残しほぼ焼失した。 鉾留(だし): 錫杖(しゃくじょう) 本座(主座): 寿老人 脇立・前立人形: 紅白の布を巻いた棒を両手に持つ操り人形、または笛吹唐子童子(前立人形)明治の大火で鉾留と本座を焼失した以降、鉾留の錫杖の代わりに下方にシャグマ(毛飾り)を付けた鋳物でできた傘型を飾っていた。なお本座は昭和の大火当時は存在していない。 前立人形は 昭和の大火以前は紅白の布を巻いた棒を両手に持つ操り人形、明治の大火で笛吹唐子童子が焼失したと思われる。1986年(昭和61年)には、昭和の大火で焼失を免れた前立人形の頭部に、新たに胴体部を制作し復元された「獅子頭と御幣を持つ唐子童子」を祭礼当日公民館に飾っている。
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