仕官まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:33 UTC 版)
1845年(弘化2年)、幕臣・富永惣五郎と母・利恵(村尾氏)の次男として江戸駒込に生まれ、2歳のとき同じく幕臣である矢野氏の養嗣子となり改姓したが、そのまま実家で育った。幼名は次郎吉。父・惣五郎(1858年コレラで病没)は微禄の御家人ながら、江川英龍・伊東玄朴らと交わる開明的人物であり、鎖国の打破と西洋兵術の導入を唱え、幼少期の二郎に大きな思想的影響を及ぼした。1860年(万延元年)、16歳で幕府の訳官森山多吉郎ついで西吉十郎のもとで英語を学び、ここで尺振八・益田孝(当時の名は「進」)と終生にわたる交友を結んだ。
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