忍者とする説・忍者のイメージを仮託された人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:16 UTC 版)
「忍者」の記事における「忍者とする説・忍者のイメージを仮託された人物」の解説
天武天皇 - 天文遁甲に通じていたことを根拠に豊田有恒が忍者説を唱えた。通常、この「天文遁甲」は忍術ではなく占術のことと解釈されている。 杉谷善住坊 - 織田信長を狙撃して失敗した根来衆。 果心居士 - 戦国時代 幻術師 山本勘助(菅助) - 甲斐武田氏の足軽大将・伝説的軍師。勘助を忍者とする記録は見られないが、近代には新田次郎の歴史小説『武田信玄』で忍者として描かれた。 滝川一益 - 織田信長仕官までの経歴が不詳で、甲賀出身であることから、忍者との関係が取り沙汰される。 石川五右衛門 - 安土桃山時代の盗賊。古典芸能から映画まで忍術使いとして描かれた作品多数。 松尾芭蕉 - 伊賀出身の俳諧師。忍者説の初出は1966年に松本清張と樋口清之が発表した共著『東京の旅』である(該当項参照)。 間宮林蔵 - 薩摩藩の鹿児島城に潜入して城中の蘇鉄に名前を刻んだ偉業で知られる公儀隠密。伊能忠敬の弟子でもあり、ロシアの南下に際し幕府の命を受け、樺太の調査を行う。今でも日本の地図には、樺太とシベリヤの海峡に間宮海峡として名を残している。 柳生宗矩(柳生但馬守) - 徳川幕府初代大目付。剣豪であり二代秀忠らのボディーガード、さらには徳川家指南役を務めた柳生石舟斎の子。二代将軍・徳川秀忠、三代将軍・徳川家光の信頼が厚く、1636年に一万石に加増され、大名となる。多くの映画・ドラマにより、忍者の総元締めとして認知されるようになった。 中根正盛(中根壱岐守) - 公儀隠密の元締。三代将軍・徳川家光、四代将軍・徳川家綱 / 時代の御側・大目付で、将軍の側近として権勢を振るった。配下の与力22名は国目付として諸国監察を任とし、主に諜報活動に従事した。正盛は、これらの与力を通して全国(各藩)津々浦々に隠密組織を保持し、情報網を張り巡らせていた。その隠密組織を幕閣という政府組織の一角に諜報機関として組織化し掌握した。
※この「忍者とする説・忍者のイメージを仮託された人物」の解説は、「忍者」の解説の一部です。
「忍者とする説・忍者のイメージを仮託された人物」を含む「忍者」の記事については、「忍者」の概要を参照ください。
- 忍者とする説・忍者のイメージを仮託された人物のページへのリンク