仕切り戸の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 07:30 UTC 版)
かつては法隆寺の一枚板の扉のような、二枚の板をつなぎ合わせ固定させるために端はし喰ばみという横板を入れただけの端喰戸が使われていた。 平安時代には軸によって回転する妻戸 (開き戸)、左右に開閉する遣戸(やりど) 、現在の格子戸の原型である蔀戸(しとみど)(開けるときは内部上方に吊り上げて金具に掛ける。歴史的建築物以外では見られない)などがあらわれる。 平安後期には明かり障子が普及し、その保護のための引戸として登場したのが舞良戸(まいらど)である。蔀戸を原型とし、雨戸の原型とされている。
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