前田土佐守家
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前田土佐守家(まえだとさのかみけ)は、前田利家の二男前田利政を家祖とする加賀藩重臣、華族の男爵家の家系である。豊臣政権時代に大名であった利政は、関ヶ原の戦いでは東軍への出兵を拒否したことにより改易となった。直之の代から前田利常に仕えて加賀八家の筆頭となり、以後、本家では断たれた利家の正妻・芳春院の血筋を伝えることもあり、代々筆頭重臣の地位を占めた(加賀八家は家老ではなく、より格上の存在である)。家禄は1万1000石であり、加賀八家の中で最も少ない。
- 1 前田土佐守家とは
- 2 前田土佐守家の概要
前田土佐守家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 04:12 UTC 版)
前田土佐守家は、加賀藩祖前田利家とその夫人まつ(芳春院)の次男である前田利政を家祖とする加賀藩きっての名家であり、加賀八家の一つとして代々、藩の重責を担ってきた家である。家祖利政は、七尾城にあって能登国22万石を領有していたが、関ヶ原の戦いで徳川家康の出陣要請に応じなかったことから領地を没収された。その後京都(嵯峨)に隠棲し、本阿弥光悦など多くの文化人や豪商と交流していた。 2代直之は、幼少時に祖母芳春院に引き取られて養育された。芳春院の尽力があって、3代藩主前田利常に召し抱えられた。これ以後藩政期を通じて1万余石の禄高をもって、代々「八家」の一つとして藩の要職を歴任し、10代直信の時に明治維新を迎えた。藩政期の当主10人のうち4人が従五位下土佐守(2人は近江守)に叙爵されていることから、一般に「前田土佐守家」と称されている。
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