前田土佐守家とは? わかりやすく解説

前田土佐守家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:20 UTC 版)

前田土佐守家(まえだとさのかみけ)は、前田利家の二男前田利政を家祖とする加賀藩重臣、華族男爵家の家系である。豊臣政権時代に大名であった利政は、関ヶ原の戦いでは東軍への出兵を拒否したことにより改易となった。直之の代から前田利常に仕えて加賀八家の筆頭となり、以後、本家では断たれた利家の正妻・芳春院の血筋を伝えることもあり、代々筆頭重臣の地位を占めた(加賀八家は家老ではなく、より格上の存在である)。家禄は1万1000石であり、加賀八家の中で最も少ない。




「前田土佐守家」の続きの解説一覧

前田土佐守家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 04:12 UTC 版)

前田土佐守家資料館」の記事における「前田土佐守家」の解説

前田土佐守家は、加賀藩前田利家とその夫人まつ(芳春院)の次男である前田利政家祖とする加賀藩きっての名家であり、加賀八家一つとして代々、藩の重責担ってきた家である。家祖利政は、七尾城にあって能登国22万石領有していたが、関ヶ原の戦い徳川家康出陣要請応じなかったことから領地没収された。その後京都嵯峨)に隠棲し、本阿弥光悦など多く文化人豪商交流していた。 2代直之は、幼少時祖母芳春院引き取られ養育された。芳春院尽力があって、3代藩主前田利常召し抱えられた。これ以後藩政期通じて1万余石の禄高をもって代々八家」の一つとして藩の要職歴任し10代直信の時に明治維新迎えた藩政期当主10人のうち4人が従五位下土佐守2人近江守)に叙爵されていることから、一般に「前田土佐守家」と称されている。

※この「前田土佐守家」の解説は、「前田土佐守家資料館」の解説の一部です。
「前田土佐守家」を含む「前田土佐守家資料館」の記事については、「前田土佐守家資料館」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「前田土佐守家」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「前田土佐守家」の関連用語

前田土佐守家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



前田土佐守家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの前田土佐守家 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの前田土佐守家資料館 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS