塩野季彦とは?

塩野季彦


塩野季彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/12 03:46 UTC 版)

塩野 季彦(しおの すえひこ、明治13年(1880年1月1日 - 昭和24年(1949年1月7日)は、日本司法官僚政治家司法大臣である。思想検事の主流として活動し、「塩野閥」などと言われた派閥を形作っていたことで知られている。




  1. ^ 大審院次長検事という高等官一等でも、それより序列上では位が上の親任官(大審院長、検事総長)や、先順位の高等官一等(各控訴院長、各検事長)らがひしめいていた中で、8名から12名を追い越して異例の司法大臣抜擢に至った背景には、塩野の人物にその素質があったことは勿論、国本社総帥・平沼騏一郎の推挙が大いに力があったという。『鬼検事』(向江璋悦,法学書院,1974年6月10日発行) P114
  2. ^ 「塩野閥」として、松阪広政、黒川渉の二人に、その下部の佐藤祥樹、岸本義広、佐野茂樹、太田耐造らが当時の「塩野閥四天王」と括られ、特に戦後の「岸本派」の実態は「太田派」というように太田耐造が中心にいたとする。『鬼検事』(向江璋悦,法学書院,1974年6月10日発行) P118
  3. ^ ただ塩野と対立していた小原派にしても追及に妥協が無く、それに連なる戦後の特捜経済検事の「正義」を基調とした捜査手法もあながち検察ファッショともいえなくもない。
  4. ^ a b 『思想検事』(荻野富士夫,岩波新書,2000年9月)
  5. ^ 『CD 現代日本人名録 物故者編 1901 - 2000』(日外アソシエーツ
  6. ^ 公職追放の該当事項は「法相逓相」。(総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年576頁。NDLJP:1276156 


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