選挙違反問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:50 UTC 版)
第1次池田内閣では、椎名の池田支援が評価されて岸派を代表して自民党政務調査会長に就任した。10月に池田は衆議院を解散、第29回衆議院議員総選挙が施行され椎名は三度の最下位当選となった。選挙後に組閣された第2次池田内閣では通商産業大臣として入閣した。通産相となった椎名は自身の選挙違反問題を野党に追及された。椎名の陣営は毎回違反者を出しており、また、1958年の選挙で買収容疑をかけられた総括主宰者兼出納責任者の松川昌藏(元衆議院議員、一関市長)が夫人とともに逃亡した上、全国に指名手配されていた。国会で椎名は松川夫妻をどこかに匿っているものとして究明が求められたが、椎名はこれを否定した。しかし実際には松川夫妻は椎名の知人の企業経営者の社宅に匿われていた。椎名はこの選挙違反問題が自身の政治活動に与える影響を考慮して、1961年(昭和36年)6月の内閣改造による大臣からの退任を機に、松川夫妻に自首を求めて事件の幕引きをはかっている。1962年(昭和37年)3月、松川夫妻に対して買収の有罪判決が言い渡された。椎名夫人の公枝と椎名の秘書2名は逃亡中の夫妻の生活資金を供与し、また、椎名の知人は潜伏場所を提供していたことが認定され、それぞれ犯人蔵匿の罪で有罪判決を受けた。新聞紙上では椎名の道義的責任を厳しく問う論説が掲載された。
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