選挙違反、自民党県連会長を退任
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「江崎真澄」の記事における「選挙違反、自民党県連会長を退任」の解説
1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙で17期目の当選を果たす。翌2月19日、江崎の公設第二秘書が買収容疑で逮捕。2月22日、一宮市今伊勢地区の後援会長が逮捕。2月23日、元佐織町議会議長の矢田潔が逮捕。3月2日、蟹江町議会議員の鈴木政一と弥富町議会議員の伊藤敏夫が逮捕。多数の逮捕者を出すが、自身は刑事罰を免れた。 同年3月8日、林義郎が宮澤派に移ると、二階堂グループはついに江崎と山下元利の二人だけになった。 また、選挙終了と同時に、旧愛知5区の村田敬次郎が「あちこちから県連会長選立候補の打診があった」と次期県連会長の選挙について意欲を見せた。一気に江崎続投か、村田登板かの動きが本格化した。村田陣営内では「この際、選挙ですっきり決着をつけた方がいい」という主戦論が根強かったが、県連幹部から選挙回避を模索する動きが出る。村田の所属する清和会の安倍晋太郎会長が村田に「江崎さんとよく話し合うように」と伝えたことから、江崎と村田は3月6日、7日に会談を重ね、江崎が村田に禅譲する形で決着がついた。3月、自民党愛知県連会長を退任。 1992年12月初め、次期衆院選には出馬せず、地盤は三男の江崎鉄磨に譲る意向を表明した。 1993年7月の総選挙で三男の鉄磨は新生党公認で立候補し初当選した。これに伴い政界を引退。 1996年12月11日、東京都内の病院で死去。81歳没。
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