岸派の分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:50 UTC 版)
1962年11月、新たに福田赳夫の派閥を作ろうとした岸は「十日会(岸派)」の解散を宣言した。これに対して川島正次郎を中心としたグループが服従せず岸派は分裂する。福田や岸の反池田方針に納得のいかない椎名は、両者と袂を分かち交友クラブ(川島派)に参加した。川島派は川島と椎名の他に、赤城宗徳、藤枝泉介、浜野清吾、荒舩清十郎、長谷川四郎、秋田大助などの衆議院議員19名で結成された。川島と椎名は戦前から関わりが有り、また二人は後藤新平を介しての親類や側近としての繋がりも持っていた。またこの頃の椎名は三木武夫を会長とする三木調査会にも積極的に参加している。1963年(昭和38年)11月の第30回衆議院議員総選挙では初の2位当選を果たした。この選挙について椎名は「初めて何一つ違反のない選挙をやり、すがすがしい気分だった」と回想した。
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