岸澤派・三味線方
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岸澤伊佐吉【初世】1847年に五世式佐の上調子 岸澤市五郎【初世】1750年ごろの生まれ 岸澤市五郎【二世】1798年に三世古式部の上調子控え 岸澤市三郎【初世】1795年に二世九蔵の上調子 岸澤市治【初世】1753年-1823年 岸澤市治郎【初世】1798年に三世古式部の上調子控え 岸澤市治郎【二世】1808年に三世古式部の上調子 岸澤市蔵【初世】1779年に二世古式部の上調子 岸澤市蔵【二世】1798年-1861年 岸澤市太郎【初世】1832年に市蔵の上調子控え 岸澤梅八【初世】1810年に三世古式部・二世右和佐の上調子 岸澤右和佐【初世】1753年-1823年 岸澤右和佐【二世】1774年~1823年? 岸澤右和佐【三世】1795年に二世九蔵の上調子 岸澤右和佐【四世】1841年-1908年 岸澤悦吉【初世】1794年に二世式佐の上調子 岸澤園蔵【初世】幕末期から明治期の常磐津家元派の三味線方 岸澤勝次【初世】1790年に鳥羽屋里長の上調子控え 岸澤勝蔵【初世】1846年生まれ 岸澤兼吉【初世】文政~天保初期の三味線方 岸澤兼翁【初世】1841年-1911年 岸澤兼助【初世】1841年-1911年 岸澤兼八【初世】1797年に二世鳥羽屋里長・二世里桂の上調子 岸澤可龍【初世】1810年に三世古式部・四世式佐の上調子 岸澤菊之助【初世】1886年-1923年 岸澤亀石【初世】天明初期の三味線方 岸澤吉五郎【初世】1798年に二世九蔵の上調子 岸澤吉四郎【初世】天保期の上調子 岸澤吉蔵【初世】1754年に佐々木市蔵の上調子 岸澤吉蔵【二世】1784年に二世古式部の上調子 岸澤喜代吉【初世】1864年に三登勢太夫・六世式佐に初出 岸澤金蔵【初世】1784年に初世九蔵の上調子 岸澤金蔵【二世】1830年に五世式佐の上調子 岸澤金蔵【三世】1856年に古式部・巳佐吉の控え 岸澤金蔵【四世】1846年生まれ 岸澤金八【初世】1847年に五世式佐の上調子 岸澤金弥【初世】1784年に初世九蔵の上調子 岸澤九蔵【初世】1769年に二世古式部の上調子 岸澤九蔵【二世】1774年~1823年? 岸澤九蔵【三世】1838年-1906年 岸澤九蔵【四世】1862年-三登勢太夫・六世式佐の控え 岸澤九二八【初世】1809年に三世古式部・二世九蔵の上調子 岸澤粂蔵【初世】1807年に三世古式部の上調子 岸澤古市【初世】1822年に二世右和佐の上調子 岸澤古吉【初世】化政期に三世古式部の上調子を弾いた人 右和佐古式部【初世】豊後節時代の三味線弾き *初世古式部 岸澤古式部【二世】1730年-1783年 岸澤古式部【三世】1753年-1823年 岸澤古式部【四世】1806年-1866年 岸澤古式部【五世】1833年-1898年 岸澤古式部【六世】1838年-1906年 岸澤古式部【七世】1859年-1944年 岸澤語助【初世】文政後期の上調子 岸澤古手九【初世】明治初期の三味線方 岸澤古藤治【初世】化政期に二世右和佐の上調子を弾いた人 岸澤古錦【初世】化政期に三世古式部の上調子を弾いた人 岸澤古野八【初世】1808年に四世式佐の上調子 岸澤小和佐【初世】1878年-1945年 岸澤佐吉【初世】1815年に初世右和佐(三世古式部)の上調子 岸澤佐九蔵【初世】1832年に市蔵の上調子控え 岸澤三郎助【初世】1830年-1896年 岸澤三松【初世】嘉永から安政期の上調子 岸澤佐代七【初世】1883年-1926年 岸澤三蔵【初世】1803年-1874年 *1865年に「都の錦(みやこのにしき)」「老の戯言(おいのたわごと)」を発刊 岸澤三五郎【初世】1811年に三世古式部の上調子 岸澤三七【初世】天保から安政期の上調子 岸澤三重郎【初世】1852年に豊後大掾・五世式佐の五番目で初出 岸澤三太郎【初世】天保後期から嘉永期の上調子 岸澤三調【初世】天保後期の上調子 岸澤三八【初世】天保期~嘉永期の上調子 岸澤式五郎【初世】1895年に初出 岸澤式佐【初世】1730年-1783年 岸澤式佐【二世】1753年-1823年 岸澤式佐【三世】1774年~1823年? 岸澤式佐【四世】1772年-1822年 岸澤式佐【五世】1806年-1866年 岸澤式佐【六世】1833年-1898年 岸澤式佐【七世】1859年-1944年 岸澤式佐【八世】1859年-1944年 岸澤芝喜作【初世】安政期の上調子 岸澤芝喜作【二世】1878年-1919年 岸澤式三郎【初世】1862年-三登勢太夫・六世式佐の控え 岸澤式蔵【初世】1806年に三世古式部の上調子 岸澤式蔵【二世】1847年-1924年 岸澤式蔵【三世】1888年に園太夫のタテ三味線 岸澤式之助【初世】1830年-1896年 岸澤式之助【二世】1862年に控えで初出 岸澤式松【初世】1847年に初出 腕が良いため四世古式部に目をかけられた 岸澤式松【二世】1878年-1945年 岸澤式松【初世】1895年生まれ 岸澤重五郎【初世】1794年に二世九蔵の上調子 岸澤重五郎【二世】1831年に五世式佐の上調子 岸澤寿佐久【初世】1870年-1919年 岸澤寿助【初世】1833年に五世式佐の五番目 岸澤寿助【二世】1883年-1926年 岸澤扇蔵【初世】1822年に二世右和佐の上調子 岸澤政治【初世】1791年に二世九蔵の上調子 岸澤惣吉【初世】1776年に二世古式部の控え 岸澤惣八【初世】天保期の上調子 岸澤園八【初世】天保期の上調子 岸澤竹遊斎【初世】1806年-1866年 岸澤竹遊【初世】1838年-1906年 岸澤歳蔵【初世】弘化から安政期の上調子 岸澤登美八【初世】1864年に三登勢太夫・六世式佐で七番目 岸澤友治【初世】天保期の上調子 岸澤仲助【初世】1806年-1866年 岸澤仲助【二世】1822年に松蔵の上調子控え 岸澤仲助【三世】1838年-1906年 岸澤仲助【四世】1870年-1919年 岸澤仲助【五世】1886年生まれ 岸澤八五郎【初世】1798年-1861年 岸澤八五郎【二世】1822年に二世右和佐の上調子 岸澤百松【初世】1841年-1911年 岸澤文左【初世】1839年-1906年 岸澤文左衛門【初世】1822年に松蔵の上調子控え 岸澤文左衛門【二世】1833年に五世式佐の上調子 岸澤文左衛門【三世】1841年-1917年 岸澤文治【初世】1841年-1917年 岸澤文車【初世】1776年に二世古式部の控え 岸澤文蔵【初世】1772年-1822年 岸澤文蔵【二世】1810年に三世古式部・四世式佐の上調子 岸澤文之助【初世】1895年に初出 岸澤松蔵【初世】1811年に三世古式部の上調子 岸澤松蔵【二世】1857年-1924年 岸澤松蔵【三世】1905年で常磐太夫のタテ三味線 岸澤万吉【初世】文政・天保期の三味線方 岸澤万蔵【初世】1782年に上調子(岸澤万蔵・鳥羽屋万蔵・故沢万蔵) 岸澤巳佐吉【初世】1833年-1898年 岸澤巳佐吉【二世】1859年-1944年 岸澤巳佐吉【三世】1870年-1919年 岸澤三治【初世】1841年に五世式佐の上調子控え 岸澤巳都次郎【初世】1904年に初出 岸澤三助【初世】天保後期から嘉永期の上調子 岸澤文字太郎【初世】1841年-1911年 岸澤文字八【初世】1838年で五世式佐の上調子 初世文字兵衛の師 岸澤文字八【二世】1878年-1919年 岸澤文字兵衛【初世】1839年-1906年 岸澤文字兵衛【二世】1857年-1924年 岸澤八百蔵(初世)1884年に七世小文字太夫・六世式佐の四番目 岸澤八百八【初世】1821年-1877年 岸澤八百八【二世】1857年-1924年 岸澤安治【初世】1804年に三世古式部の上調子 岸澤八寿次【初世】1859年に六世式佐の上調子控え 岸澤八十松【初世】1839年-1906年 岸澤鯉鮒助【初世】1810年に三世古式部の上調子 岸澤鯉鮒助【二世】文政・天保期の三味線方 岸澤里夕【初世】?~1821年没 岸澤蓮助【二世】文政・天保期の三味線方 岸澤芦吉【初世】1779年に佐々木市四郎・佐々木長春の上調子 岸澤和歌吉【初世】天保から安政期の三味線方 岸澤和助【初世】1822年に松蔵の上調子控え(初世和助→二世仲助→初世文左衛門) 岸澤和助【二世】文政後期から天保前期の上調子 初世常磐津文字太夫が宮古路文字太夫の時代に初めてタテ三味線をつとめた「片岡四郎三郎」、「佐々木」「鳥羽屋」「花房」など岸澤以外の三味線方、別派を興した「富士岡」「豊名賀」「吾妻」「菊菱」については、竹内有一編著『常磐津節演奏者名鑑』常磐津節保存会(文化庁補助事業)《第1巻(2012年)~第7巻(2018年)》を参照のこと 女流については、天保15年(1844年)には「名取の男女門人六百四拾人余り、また弟子ども凡六千人ほど(青葱堂冬圃著『まさかのかづら』嘉永末年頃成立)」とあり、その裏には女流師匠連の活躍が目覚ましいが、江戸時代の情報がほとんど残っていない。大正・昭和年間の女流については、竹内有一編著『常磐津節演奏者名鑑』常磐津節保存会(文化庁補助事業)《第4巻(2015年)》を参照のこと
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