大正・昭和とは? わかりやすく解説

大正・昭和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:30 UTC 版)

西肥自動車」の記事における「大正・昭和」の解説

1918年大正7年8月 - 中村自動車商会佐世保 - 早岐間で乗合自動車運行開始1920年大正9年2月10日 - 西肥自動車株式会社設立出資 - 北松浦郡江迎町(現 佐世保市)で炭鉱経営していた中村京太郎初代社長)を中心とした北地域資本資本金 - 125千円 本社・車庫所在地 - 佐世保市相生町現在のNTT西日本佐世保ビル保有車両 - 6台 路線 - 中村自動車商会事業継承して相浦 - 佐世保 - 早岐間で運行開始1921年大正10年1月 - 佐世保江迎平戸口(旧北松浦郡田平町)線運行開始当初は江里峠経由での運行1927年昭和2年3月 - 佐世保市営バス佐世保市土木自動車係、のち佐世保市交通局)、西肥バスより春日町日宇間の営業権車両譲渡を受け運行開始協定により市営バス免許区間重複する堺木~日宇間では区間内のみの西肥バス乗車不可とされた(1950年昭和25年)頃まで)。 1934年昭和9年9月10日 - 佐世保市白南風町(現:佐世保バスセンターの場所)に本社車庫移転1943年昭和18年7月1日 - 戦時統合により波佐見自動車合併12月1日には大村以南路線長崎県自動車(現:長崎県交通局)へ譲渡1944年昭和19年3月1日 - 平戸自動車現在の平戸バスとは別経営)を合併1945年昭和20年6月29日 - 佐世保大空襲本社車庫焼失終戦後同年9月佐世保市島地町旧海軍施設本社仮移転1950年昭和25年5月16日 - 佐世保長崎間(大村経由)に長崎県営バス共同急行バス運行開始11月1日 - 佐世保福岡間(武雄佐賀経由)に西鉄祐徳バス共同特急バス運行開始。(1953年昭和28年10月休止1959年昭和34年1月 - 佐世保海上交通買収子会社西肥観光汽船として佐世保港鹿子前間観光船運航開始1960年昭和35年7月 - 各営業所運行していたタクシー事業統合した子会社の西肥観光タクシー(シルバータクシーの前身)を設立1963年昭和38年5月13日 - 北松浦郡田平町(現 平戸市田平町)馬の元の国道204号通称七曲り)で平戸口発佐世保行き急行バス路肩から斜面転落乗客9人が死亡乗客・乗員14人が重軽傷1964年昭和39年12月28日 - 大阪佐世保間に年末年始期間の帰省バス運行1976年昭和51年1月まで)。 1965年昭和40年6月21日 - 相浦線で同社初のワンマンバス運行開始1966年昭和41年8月10日 - 佐世保福岡間に西鉄祐徳バス共同特急バス運行再開(「させぼ号」)。 1969年昭和44年3月18日 - 佐世保市万津町新本社屋竣工島地町から移転1977年昭和52年10月15日 - 長崎バスジャック事件発生。(事件の内容については長崎バスジャック事件参照。) 1985年昭和60年10月 - 佐世保交通センタービル竣工、西肥バスターミナル併設佐世保シティホテル開業1986年昭和61年10月 - 子会社の西肥観光バス北松浦郡松浦市一部地域閑散路線移管

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大正・昭和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:04 UTC 版)

明治維新」の記事における「大正・昭和」の解説

維新政治史は、藤井甚太郎井野辺茂雄らによって実証研究進展し維新史料編纂会の『維新史』 (5巻)などで集大成図られたほか、維新社会経済史1920年代より、幸田成友本庄栄治郎土屋喬雄らが実証研究をなした。

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大正・昭和(戦前)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 17:43 UTC 版)

日本におけるカトリック教会」の記事における「大正・昭和(戦前)」の解説

1912年大正元年8月13日 - 函館教区より新潟山形秋田の3県を、また東京教区より富山石川福井の3県を分離し新潟牧区新設1915年大正4年2月12日 - 函館教区より函館地区を除く北海道全土および樺太サハリン南部分離し札幌牧区新設ドイツフランシスコ会委託1922年大正11年2月18日 - 東京教区より愛知岐阜の2県が、また新潟牧区より富山石川福井の3県が分離し名古屋牧区新設1923年大正12年5月4日 - 大阪教区より中国5県を分離し広島代理区を新設ドイツイエズス会委託される代理区長館は岡山置かれた。 1927年昭和2年3月18日 - 長崎教区より鹿児島沖縄の両県を分離し鹿児島牧区新設カナダフランシスコ会委託7月16日 - 長崎教区より福岡佐賀熊本宮崎、大分の5県を分離し福岡教区新設パリ外国宣教会委託1928年昭和3年3月29日 - 福岡教区宮崎、大分両県をサレジオ修道会委託1929年昭和4年3月30日 - 札幌牧区札幌代理区に昇格1932年昭和7年7月14日 - 札幌代理区から樺太南部分離し樺太牧区新設1935年昭和10年1月28日 - 福岡教区より宮崎、大分両県を分離し宮崎牧区新設1936年昭和11年3月9日 - 函館教区司教座仙台移転し仙台教区改称1937年昭和12年6月17日 - 大阪教区より奈良三重滋賀の1府3県を分離し京都牧区新設米国メリノール宣教会委託11月9日 - 東京教区パリ外国宣教会への委託終了、また同教区より東京千葉を除く8県を分離し横浜教区新設1939年昭和14年広島代理区長館が広島移転1月4日 - 横浜教区より埼玉茨城栃木群馬の4県を分離し浦和牧区新設1940年昭和15年) - 広島代理区は岡山鳥取両県での宣教司牧イエズス会から淳心会移管1997年まで)。

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大正・昭和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:01 UTC 版)

美作市」の記事における「大正・昭和」の解説

1914年 (大正3年) - 大正デモクラシー広がりにより、旧美作町域でも護憲運動一環として減税運動が行われた。 1918年 (大正7年) - 林野町湯郷村米騒動が起こる。 1921年 (大正10年) - 長福寺三重塔国宝指定される1923年 (大正12年) - 全国水平社結成呼応して部落解放運動を行う美作水平社創立される。 1927年 (昭和2年) - 湯郷村小作争議起こり1931年(昭和6年)まで続く。 1934年昭和9年) - 11月28日国鉄姫津西線(現・JR姫新線東津山駅 - 美作江見駅間が開業。二年後の4月8日 佐用駅 - 美作江見駅間が開業1961年昭和36年) - 梅雨前線による豪雨災害発生1963年昭和38年) - 梅雨前線による豪雨災害発生1972年昭和47年) - 梅雨前線による豪雨災害発生1974年昭和49年) - 12月21日中国自動車道 美作IC - 落合IC開通翌年福崎IC - 美作IC開通

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