大正・昭和
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1918年(大正7年)8月 - 中村自動車商会が佐世保 - 早岐間で乗合自動車運行開始。 1920年(大正9年)2月10日 - 西肥自動車株式会社が設立。出資 - 北松浦郡江迎町(現 佐世保市)で炭鉱を経営していた中村京太郎(初代社長)を中心とした北松地域の資本。 資本金 - 12万5千円 本社・車庫所在地 - 佐世保市相生町(現在のNTT西日本佐世保ビル) 保有車両 - 6台 路線 - 中村自動車商会の事業を継承して相浦 - 佐世保 - 早岐間で運行開始。 1921年(大正10年)1月 - 佐世保~江迎~平戸口(旧北松浦郡田平町)線運行開始。当初は江里峠経由での運行。 1927年(昭和2年)3月 - 佐世保市営バス(佐世保市土木課自動車係、のち佐世保市交通局)、西肥バスより春日町~日宇間の営業権と車両譲渡を受け運行開始。協定により市営バス免許区間と重複する堺木~日宇間では区間内のみの西肥バスの乗車は不可とされた(1950年(昭和25年)頃まで)。 1934年(昭和9年)9月10日 - 佐世保市白南風町(現:佐世保バスセンターの場所)に本社と車庫を移転。 1943年(昭和18年)7月1日 - 戦時統合により波佐見自動車を合併。12月1日には大村以南の路線を長崎県営自動車(現:長崎県交通局)へ譲渡。 1944年(昭和19年)3月1日 - 平戸自動車(現在の平戸バスとは別経営)を合併。 1945年(昭和20年)6月29日 - 佐世保大空襲で本社と車庫を焼失。終戦後、同年9月に佐世保市島地町の旧海軍施設に本社を仮移転。 1950年(昭和25年)5月16日 - 佐世保~長崎間(大村経由)に長崎県営バスと共同で急行バスを運行開始。 11月1日 - 佐世保~福岡間(武雄・佐賀経由)に西鉄・祐徳バスと共同で特急バスを運行開始。(1953年(昭和28年)10月休止) 1959年(昭和34年)1月 - 佐世保海上交通を買収、子会社の西肥観光汽船として佐世保港~鹿子前間に観光船運航開始。 1960年(昭和35年)7月 - 各営業所で運行していたタクシー事業を統合した子会社の西肥観光タクシー(シルバータクシーの前身)を設立。 1963年(昭和38年)5月13日 - 北松浦郡田平町(現 平戸市田平町)馬の元の国道204号(通称七曲り)で平戸口発佐世保行き急行バスが路肩から斜面を転落。乗客9人が死亡、乗客・乗員14人が重軽傷。 1964年(昭和39年)12月28日 - 大阪~佐世保間に年末年始期間の帰省バスを運行(1976年(昭和51年)1月まで)。 1965年(昭和40年)6月21日 - 相浦線で同社初のワンマンバスを運行開始。 1966年(昭和41年)8月10日 - 佐世保~福岡間に西鉄・祐徳バスと共同で特急バス運行再開(「させぼ号」)。 1969年(昭和44年)3月18日 - 佐世保市万津町に新本社社屋が竣工、島地町から移転。 1977年(昭和52年)10月15日 - 長崎バスジャック事件が発生。(事件の内容については長崎バスジャック事件を参照。) 1985年(昭和60年)10月 - 佐世保交通センタービルが竣工、西肥バスターミナルと併設の佐世保シティホテル開業。 1986年(昭和61年)10月 - 子会社の西肥観光バスに北松浦郡、松浦市等一部地域の閑散路線を移管。
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大正・昭和
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維新の政治史は、藤井甚太郎、井野辺茂雄らによって実証研究が進展し、維新史料編纂会の『維新史』 (5巻)などで集大成が図られたほか、維新の社会経済史は1920年代より、幸田成友、本庄栄治郎、土屋喬雄らが実証研究をなした。
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大正・昭和(戦前)
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「日本におけるカトリック教会」の記事における「大正・昭和(戦前)」の解説
1912年(大正元年)8月13日 - 函館教区より新潟、山形、秋田の3県を、また東京教区より富山、石川、福井の3県を分離し、新潟知牧区を新設。 1915年(大正4年)2月12日 - 函館教区より函館地区を除く北海道全土および樺太(サハリン)南部を分離し、札幌知牧区を新設、ドイツのフランシスコ会に委託。 1922年(大正11年)2月18日 - 東京教区より愛知、岐阜の2県が、また新潟知牧区より富山、石川、福井の3県が分離し、名古屋知牧区を新設。 1923年(大正12年)5月4日 - 大阪教区より中国5県を分離し、広島代理区を新設、ドイツのイエズス会に委託される。代理区長館は岡山に置かれた。 1927年(昭和2年)3月18日 - 長崎教区より鹿児島、沖縄の両県を分離し、鹿児島知牧区を新設、カナダのフランシスコ会に委託。 7月16日 - 長崎教区より福岡、佐賀、熊本、宮崎、大分の5県を分離し、福岡教区を新設、パリ外国宣教会に委託。 1928年(昭和3年)3月29日 - 福岡教区は宮崎、大分両県をサレジオ修道会に委託。 1929年(昭和4年)3月30日 - 札幌知牧区は札幌代理区に昇格。 1932年(昭和7年)7月14日 - 札幌代理区から樺太南部を分離し、樺太知牧区を新設。 1935年(昭和10年)1月28日 - 福岡教区より宮崎、大分両県を分離し、宮崎知牧区を新設。 1936年(昭和11年)3月9日 - 函館教区は司教座を仙台に移転し、仙台教区と改称。 1937年(昭和12年)6月17日 - 大阪教区より奈良、三重、滋賀の1府3県を分離し、京都知牧区を新設、米国のメリノール宣教会に委託。 11月9日 - 東京教区のパリ外国宣教会への委託が終了、また同教区より東京、千葉を除く8県を分離し、横浜教区を新設。 1939年(昭和14年)広島代理区長館が広島に移転。 1月4日 - 横浜教区より埼玉、茨城、栃木、群馬の4県を分離し、浦和知牧区を新設。 1940年(昭和15年) - 広島代理区は岡山、鳥取両県での宣教司牧をイエズス会から淳心会に移管(1997年まで)。
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大正・昭和
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1914年 (大正3年) - 大正デモクラシーの広がりにより、旧美作町域でも護憲運動の一環として廃減税運動が行われた。 1918年 (大正7年) - 林野町と湯郷村で米騒動が起こる。 1921年 (大正10年) - 長福寺三重塔が国宝に指定される。 1923年 (大正12年) - 全国水平社の結成に呼応して、部落解放運動を行う美作水平社が創立される。 1927年 (昭和2年) - 湯郷村で小作争議が起こり、1931年(昭和6年)まで続く。 1934年(昭和9年) - 11月28日、国鉄姫津西線(現・JR姫新線) 東津山駅 - 美作江見駅間が開業。二年後の4月8日 佐用駅 - 美作江見駅間が開業。 1961年(昭和36年) - 梅雨前線による豪雨災害発生。 1963年(昭和38年) - 梅雨前線による豪雨災害発生。 1972年(昭和47年) - 梅雨前線による豪雨災害発生。 1974年(昭和49年) - 12月21日、中国自動車道 美作IC - 落合ICが開通。翌年、福崎IC - 美作ICが開通。
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