大正・昭和初期の街並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 07:20 UTC 版)
「大町 (仙台市)」の記事における「大正・昭和初期の街並み」の解説
この頃の大町の多くの商店は、古風な蔵造りの建物であった。店舗横の細い路地から裏に入ると、二、三軒の貸家があり、一般家庭が暮らしていた。道路に面したところが店で、その後ろに貸家が並ぶという土地利用は、江戸時代からのものであった。 近代建築としては、1922年(大正11年)に完成した明治生命館が、地上3階、地下1階、ロマネスク建築式で煉瓦の壁にみかげ石を貼り、市中でも一、二の豪華な建物であった。1933年(昭和8年)完成の藤崎、カルトンも鉄筋コンクリート3階建てである。他には建物の上に楼閣を上げた大内屋、時計塔を載せた三原時計店が目だった。 1933年(昭和8年)に東一番丁に仙台三越ができると、三越と藤崎という二大百貨店を結ぶ東一番丁が仙台でもっとも繁華な商店街となった。大町では芭蕉の辻周辺に金融機関が集まりはじめた。はじめ大町一丁目に本店をおいた七十七銀行は、1878年(明治11年)に芭蕉の辻に本店を移した。1922年には上述の明治生命が支店を構え、1941年(昭和16年)には芭蕉の辻商館の跡に日本銀行が仙台支店を置いた。
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