大正・昭和: 男色文化復活とは? わかりやすく解説

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大正・昭和(太平洋戦争前): 男色文化復活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 07:34 UTC 版)

日本における同性愛」の記事における「大正・昭和太平洋戦争前): 男色文化復活」の解説

西洋人非難対象になったことで従来男色文化風化していったとされるものの、大正期には男色秘密クラブ男娼のような形で各地復活した発展場大正年間までにはあったとみられ、江戸川乱歩一寸法師』(1927年/昭和2年)には深夜浅草公園浅草寺境内)に屯すゲイの姿が生々しい。また太平洋戦争前の一時期東京上野公園には男娼屯していたことが知られ昭和初頭には男娼銀座街頭へも進出しゲイバーゲイクラブ昭和初年には出現していた。こうして公園映画館出会いの場になり大規模な組織生まれた結果江戸期規模匹敵していたとされるが、かつてのように社会賞賛対象になったり、女色の上位に置かれることはなかった。この頃男色研究進展をみせた。南方熊楠明治以降同性愛考察し岩田準一は「本朝男色考」(1930年/昭和5年)で男色研究基礎築き江戸川乱歩はその岩田男色文献収集競った岩田はまた南方熊楠とも男色について書簡交わしたほか、古今東西男色文献を「男色文献書志」にまとめようとも試みた因みにこの頃、『少年愛の美学』(徳間書店)を太平洋戦争上梓することになる稲垣足穂後述)も乱歩出会っている。菊池寛大正14年1925年4月8日付けで、古今東西男色に関する蘊蓄満載した手紙書いている。この手紙は文藝春秋投稿され坂田行雄の随筆作家男色」への評価アドバイス綴ったもので、ギリシャ神話シェークスピアオスカー・ワイルド古事記などに関する記述見られる因みに菊池寛男色指向研究者間では知られていたが、その指向を自ら明示した手紙発見2008年)でそれが裏付けられた。 同性愛に関する研究進んだ背景として、大正2年1913年)、同性愛を異常と見なさない立場から医学的に同性愛ウールニング)に言及した、クラフト・エビング『性の精神病理』(1886年)が『変態性欲心理』というタイトル日本出版され性科学ブームになっていたことがあり、岩田らの前にも「同性の愛」(1914年/大正3年文明社、野元一二)、「男性に於ける同性愛」(1920年/大正9年、『日本及日本人』、田中香涯)、「同性愛民族的歴史的考察」(1922年/大正11年、『性』、新井誠夫)などの同性愛研究があった。その他の文献には、女性同性愛取り上げた田村俊子の「同性の恋」(『中央公論1913年/大正2年)、異性装などに関する男優女と女優の男」(『中央公論1920年/大正9年)、性転換取り上げた「女が手術受けてになった話」(『婦人公論1921年/大正10年)などがあり、大正デモクラシーから昭和初頭にかけては比較多く同性愛に関する資料残っている(その他の明治〜昭和初期にかけての文献参照)。

※この「大正・昭和(太平洋戦争前): 男色文化復活」の解説は、「日本における同性愛」の解説の一部です。
「大正・昭和(太平洋戦争前): 男色文化復活」を含む「日本における同性愛」の記事については、「日本における同性愛」の概要を参照ください。

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