明治〜昭和初期
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1878年 京都盲唖院設立 日本の盲・聾教育の始まり。 1891年 東京・滝乃川学園設立 日本の知的障害教育の始まり。 1909年 千葉県・勝山に東京市養育院安房分院開設 日本初の身体虚弱・病弱児のための恒常的教育施設。 1921年 東京・柏学園設立 日本の肢体不自由教育の始まり。 1940年 大阪市立思斉学校設立 日本最初、戦前唯一の知的障害児を収容する学校。 1941年 国民学校令施行規則 「身体虚弱、精神薄弱其ノ他心身ニ異常アル児童ニシテ特別養護ノ必要アリト認ムルモノノ為ニ学級又ハ学校ヲ編制スルコトヲ得」 →“養護学校”の名称広まる。戦局の進行に従い、特殊教育にかかる学校・学級は次第に閉鎖される。
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明治〜昭和初期
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1895年(明治28年) 百島人口2,127人のうち59世帯255人(12%)が、現在の北海道岩見沢市栗沢町茂世丑地区に入植開拓。現在百島4〜5世代の郷土出身者が定住。 1913年(大正2年) 百島人口403世帯 2,358人。 耕地の面積、島民の人口を養えず、北海道、関東、四国、九州の国内四方へ。 さらに海外である北米、南米、ハワイ、豪州、マニラ、朝鮮、台湾へ移住。 当時の沼隈郡誌の記録には「百島の者、一般に質朴勤勉にして徳義を重んじ、信義を守り、克く難苦に堪え、忍耐力強気を以て、至るところに成功者を出し、土地開拓に或いは商業に漁業、運送業に大規模の経営を競る者、その数少なからず」云々とある。 1923年(大正12年) 沼隈郡誌による「百島村人文誌」には、このように記されている。 「人情敦煌にして懇切掬べきものあり、殊に女子の勤労と男子の海外発展には特筆に価す。又敬神崇佛の念一段深く、貯蓄心に富み、納税成績良好なり」。
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