明治〜戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:20 UTC 版)
明治期には今戸焼きのような浅い皿の七輪から、木炭が多く投入出来る深いバケツ状の形状が中心的になり、大正から昭和期にかけては、木炭や炭団にあわせて、豆炭が七輪の燃料として盛んに利用されるようになった。大正期に登場した円柱状の練炭は、当初、七輪にはめ込んで利用されていた。 能登半島では古くから珪藻土が伐出され、竈や炉の材料として使用されてきたという。元和元年ころより竈および炉として自家用に利用され、明治初年より20年頃までには他地方へも移出販売されていた。 送風口の細工は三河でできたとされる。土師製のものは欠けやすく、陶器は熱く焼けてしまい大変危険であり火熾しには適さないことから、次第に珪藻土製のものが主流になったと考えられる。 インフラが破壊された第二次世界大戦直後は、土間や竈のないバラックでも容易に使えるため、都心部の庶民生活を支える調理器具として重宝された。このころは七輪一つで炊飯、煮炊き、魚焼きまでこなした。 いわゆる木炭に加えて練炭が当初七輪で使われていたが、1954年に一酸化炭素の発生が少なく、燃焼温度が高く燃料の保ちが良い専用の「上つけ練炭コンロ」が登場し、そちらでの利用が推奨されるようになった。
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