明治から売春防止法施行まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 23:36 UTC 版)
「吉原 (東京都)」の記事における「明治から売春防止法施行まで」の解説
明治以降、芸娼妓解放令が出され、1875年には遊女屋は「貸座敷」と名を変えたが、遊女は相変わらず「籠の鳥」であり、自由な外出もできず、人身売買の実態は江戸時代と同様、旧態依然の状態であった。明治の吉原風俗は『ヰタ・セクスアリス』(森鷗外)や『たけくらべ』(樋口一葉)といった作品からも窺える。特に一葉は吉原近くの竜泉に小間物屋を構えるなど当地との縁が深い。1903年には、写真指名システムがはじまり(「写真見世」)、1916年には、張店が禁止された。 近代以降も1911年4月9日に大火が発生した(「吉原大火」)。また、関東大震災、東京大空襲でもほぼ全焼し、多くの犠牲者を出したが、そのたびに不死鳥の如く復活した。 第二次世界大戦後、GHQの指令により公娼廃止となり、営業形態も民主化され、特殊飲食店街、いわゆる赤線となった。
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