明治から干拓までとは? わかりやすく解説

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明治から干拓まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:17 UTC 版)

巨椋池」の記事における「明治から干拓まで」の解説

1868年明治元年)に木津川堤防決壊したことで、京都府淀藩との共同事業によって木津川宇治川との合流点下流側に付け替えた。これは木津川から巨椋池向けて洪水時の逆流少なくすることになった。 しかし、それからも洪水被害がたびたび起こったことから、淀川改良工事一環として宇治川付け替えが行われ、1910年明治43年)に完成した。この工事によって巨椋池大池)は、淀・一口いもあらい)間の水路宇治川とつながるのみとなったこのため周辺から流入する生活排水農業排水排出滞ることになり、水質悪化により漁獲量減少したり、マラリア発生したりする問題生じた。そして春から夏にかけて大量発生し付近住民燻をたかなければ夕食箸を取ることさえできなかった。 このような状況の中での地元働きかけもあり、国の食糧増産事業として国営第1号干拓事業実施されることになった

※この「明治から干拓まで」の解説は、「巨椋池」の解説の一部です。
「明治から干拓まで」を含む「巨椋池」の記事については、「巨椋池」の概要を参照ください。

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Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの巨椋池 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

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