明治から戦前まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 07:24 UTC 版)
船橋町 葛飾町 法典村 塚田村 八栄村 二宮町 豊富村 1868年(慶応4年) - 戊辰戦争に伴う船橋の戦いで船橋大神宮周辺・馬込沢台・海神方面で戦闘が発生、本陣があった大神宮をはじめ船橋本町の大半が焼失した。幕府の消滅に伴い幕府領が佐倉藩に編入された。 1869年(明治2年) - 葛飾県が設置され、その大部分が管轄となった。10月-12月 - 小金牧の開墾事業によって、二和・三咲の集落が開村した。 1871年(明治4年) - 印旛県が設置され、その管轄となった。 1872年(明治5年) - 学制が頒布され、各地に尋常小学校(船橋小・宮本小・法典小・海神小・豊富小・八栄小の前身)が開校した。 1873年(明治6年)4月29日 - 明治天皇が、近衛兵の大演習のため、大和田原に行幸した。(史上初めて歴代天皇が県下に来幸)5月13日 - 陸軍習志野原練兵場が二宮村に設置される。後に大和田町・幕張町に拡張した。 6月15日 - 千葉県が設置され、その管轄となった。 1881年(明治14年)八栄村・法典村・二宮町・豊富村が宮内省管轄の習志野原御猟場となり、演習場内に御猟場事務所(現・郷土資料館近辺)が設置された(1925年廃止)。 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行によって、当市域に船橋町、葛飾町、八栄村、法典村、塚田村が成立した。 1894年(明治27年)7月20日 - 総武鉄道、市川 - 佐倉間開通。船橋駅が開業した。 1895年(明治28年)4月12日 - 下総中山駅が開業した。9月21日 - 総武鉄道、津田沼駅が開業した。 1897年(明治30年)6月1日 - 総武鉄道の全線開通によって、東京から成田への日帰り旅行が可能となり、継場としての繁栄は終止符がうたれた。以後、特に海岸部は、商業・レジャー都市としての性格が強くなる。 1899年(明治32年) - 習志野騎兵連隊が編成された。 1900年(明治33年) - 11月27日習志野衛戍病院(後の習志野陸軍病院)が二宮村に設立された。 1903年(明治36年) - 古和釜農民(豊富村)が御猟場反対運動を起こした。 1907年(明治40年)9月1日 - 総武鉄道が国有化された。 1908年(明治41年)6月17日 - 国鉄総武本線、市川 - 船橋間(同年、船橋 - 千葉間)が複線化された。 1915年(大正4年)3月 - 海軍無線電信所船橋送信所が竣工(塚田村と葛飾町の境界近辺)した。 1916年(大正5年) - 陸軍騎兵学校が二宮村に移転した。12月30日 - 京成電気軌道(現・京成電鉄)が船橋まで延長、京成船橋駅が開業した。 1918年(大正7年)7月 - 東華学校(現・県立船橋高等学校)が創立した。 1919年(大正8年)10月 - 松戸競馬倶楽部(現・中山競馬場)が現在地に移転した。 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災が発生するが、被害は軽微。海軍無線電信所船橋送信所より、震災発生を全国に打電。東京方面から多くの被災者が流入した。12月27日 - 北総鉄道(現・東武鉄道野田線)が船橋 - 柏間に開通した。 1925年(大正14年) - 八栄村・法典村・二宮町・豊富村にあった宮内省管轄の習志野原御猟場が廃止された。 1929年(昭和4年) - ツェッペリン号が習志野原に立ち寄った。 1933年(昭和8年)9月15日 - 国鉄総武本線、市川 - 船橋間が電化された。8月1日 - 陸軍習志野学校が二宮町に開校(後に行政境界の改変により、習志野市に編入される)した。 1935年(昭和10年)7月1日 - 国鉄総武本線、船橋 - 千葉間が電化された。
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