明治から昭和初期にかけての河川事業とは? わかりやすく解説

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明治から昭和初期にかけての河川事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:32 UTC 版)

太田川」の記事における「明治から昭和初期にかけての河川事業」の解説

明治時代以降太田川河川開発であるが、明治時代1898年明治31年)に太田川水源広島市上水道事業開始され日本で5都市目の近代水道事業施工された以外は目立った事業施工されなかったが、甚大な被害を齎した水害起きなかった。だが大正時代から昭和時代初頭にかけて1917年大正8年)・1924年大正13年)・1928年昭和3年)・1934年昭和9年)と太田川氾濫洪水起こし河川改修必要性住民から叫ばれるようになった1932年昭和7年)に内務省太田川河水改修事業計画立案この中で太田川7河川の内西側山手川福島川の2河川利用した太田川放水路開鑿計画された。 だが、治水事業折から戦争激化に伴い予算縮小され1944年昭和19年)には放水路建設中断された。この間広島市1942年昭和17年)の周防灘台風で1,159戸が高潮全壊した1943年昭和18年)には梅雨前線豪雨6月)と台風26号9月)が連続して襲来。特に9月台風過去最高の出水記録し11,545戸が浸水、更に海岸部では高潮により船舶沈没流失16,128隻という甚大な被害与えた。更に1945年昭和20年8月人類史最悪戦争被害原爆投下があり、翌9月には枕崎台風襲い広島県内だけで2,012人が死亡する等、相次いで災害戦災襲ったことから広島市壊滅等し被害受けた日本では明治入り発電所作られ始め明治20年代(1888-1897)には各地出力5キロワットから750キロワット水力発電所つくられた[信頼性検証]。広島県における水力発電所は、1899年明治32年)の黒瀬川の広発電所750キロワット)が初のものである。なお中国電管内稼働中最古発電所1907年明治40年)に発電開始した八幡川河内発電所200キロワット)である。 太田川水系における水力発電は、1902年明治35年)に山県郡加計町支流丁川(よおろがわ)で始まった水力発電(5キロワット)が初めてのもので、次いで1912年明治45年7月8日には当時としては大規模な(2,100キロワット)の亀山発電所昭和48年廃止)が竣工した1925年大正14年)には出力24,500キロワットダム水路式の間野平(まのひら)発電所竣工し1935年昭和10年)には滝山川王泊ダムが、1939年昭和14年)には太田川本川立岩ダム打梨発電所23,600kW)が完成した。特に立岩ダム戦前では7番目に堤高が高いダムであり、太田川水系電源開発広島軍事都市であったこともあり急速に進められた。1944年までに他5ヶ所の水力発電所建設された[信頼性検証]。1944年昭和19年)の総出力は103,500キロワットで現在(平成13年)の純水発電40%ほどであった

※この「明治から昭和初期にかけての河川事業」の解説は、「太田川」の解説の一部です。
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