明治から昭和初期まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:23 UTC 版)
明治時代から昭和初期の大阪市内、特にミナミ法善寺周辺には、北側に三友派の象徴であった「紅梅亭」(旧称「今嘉の席」「泉熊の席」。後に吉本興業が買収し「西花月亭」)、南側に桂派の象徴であった「南地金沢亭」(同じく吉本の買収後「南地花月」)が存在ししのぎを削った。 他にもキタ北新地の「永楽館」(同じく吉本の買収後「北新地花月倶楽部」)はじめ、上本町、堀江、松屋町、新町、松島、大阪天満宮界隈などに十数軒の落語専門定席が存在していたが、天満宮の「第二文芸館」(同じく吉本の買収後「天満花月吉川館」)を皮切りに順次吉本に買収された事により、次第に漫才中心の興行内容にシフトしていった。 太平洋戦争時は戦地への慰問や落語家の高齢化に伴い寄席も一日4時間ほどしか開演していなかった。足りない芸人などは東京吉本から、柳家金語楼、柳家三亀松等を呼び寄せ興行をなんとかつないでいた。しかし戦争の激化により一部は閉鎖され、残った寄席も大阪大空襲によって灰燼に帰した。
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