明治から現在までの研究とは? わかりやすく解説

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明治から現在までの研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:59 UTC 版)

吾妻鏡」の記事における「明治から現在までの研究」の解説

近代『吾妻鏡』研究出発は、星野恒1889年明治22年)の『史学雑誌創刊号発表した吾妻鏡考』からである。星野恒『吾妻鏡』取り上げたのはそれまで支配的だった『平家物語』などを元にした歴史観対す反証としてであり、例え1909年源頼朝挙兵名義に就きて」などにも覗える。しかし、当時国史編纂めぐって星野重野安繹しげの やすつぐ)、久米邦武らと、川田剛国学系・水戸学歴史家との対立があり、星野論調『平家物語』『太平記』資料価値否定し『吾妻鏡』は『玉葉』や『明月記』などの当時公家日記同様の信頼を置くのだった。この傾向は『史学叢説収録の「修史論史の要は材料精懌に在る説」に特に明確に見られる。 それに対し9年後の1898年明治31年)、当時20代後半だった原勝郎が「史学雑誌」第9編第5,6号に『吾妻鏡性質及其史料としての價値』を発表し歴史研究における「史料批判」の重要性強調したその後大正時代入って当時帝国大学史料編纂掛現在の東京大学史料編纂所)の二人研究者和田英松八代国治が、それまで知られていなかった「吉川本その他の諸本紹介しながら、『吾妻鏡』当初思われていたような同時代記録ではなく鎌倉幕府政所問注所に残る記録のみならず、京の公家日記類まで参照しながら後世編纂されたものであり、またそのなかには多く誤り曲筆含まれることを明らかにする八代国治1913年大正2年)に著した吾妻鏡研究』は、以降研究ベースとなった戦後1960年代昭和35年 - 昭和45年以降それまで定説となっていた八代国治成立2段階説に対して笠松宏至益田宗らの反論起こった益田宗平田俊春は、『吾妻鏡』における『明月記』の利用や、『玉葉』と『吾妻鏡』との関係についての検証進める。さらに1980年代以降五味文彦がそれらの指摘踏まえながら、『吾妻鏡』ベースとなった日記筆録推論を行うなど『吾妻鏡』原資料追究行った。それらと平行して、現在に伝わる諸写本研究進んだ

※この「明治から現在までの研究」の解説は、「吾妻鏡」の解説の一部です。
「明治から現在までの研究」を含む「吾妻鏡」の記事については、「吾妻鏡」の概要を参照ください。

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