明治から戦前、戦中まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:40 UTC 版)
「国土地理院」の記事における「明治から戦前、戦中まで」の解説
1869年6月(明治2年5月)設立の民部官庶務司戸籍地図掛を行政組織の 起源 とするが、近代政府としての測量・地図に関する制度的な嚆矢としては、行政官が府県・諸侯に対して発した1868年(明治元年)12月24日の沙汰にまで遡ることができる。戸籍地図掛は翌1870年(明治3年)には民部省地理司へと拡充し、翌1871年(明治4年)の民部省廃止に伴い測量地図作成業務は新設された工部省測量司に、同じく戸籍業務は大蔵省租税寮へ移管。内務省設置の1873年(明治6年)の翌年1月には、太政官達により、同省に地理寮が発足した。その後、同年8月発布の太政官達により、測量司(元工部省)及び太政官正院内史地誌課の業務等を移管統合しつつ、1877年(明治10年)に太政官達第3号により「内務省地理局」と改称され、全国大三角測量と地籍調査の実施を主要業務とした。 一方で、1871年(明治4年)7月、兵部省に「機務密謀ニ参畫シ地圖政誌ヲ編輯シ並ニ間諜通報等ノ事ヲ掌ル」ことを目的に陸軍参謀局が設けられ、「平時ニ在リ是ヲ諸地方ニ分遣シ地理ヲ測量セシメ地圖ヲ製スルノ用ニ供スル事」として間諜隊が置かれた。翌年の2月に兵部省が陸軍・海軍両省に分割された際には陸軍省参謀局として存置されたが、1873年(明治6年)4月、「陸軍文庫・測量地圖・繪圖彫刻・兵史並兵家政誌蒐輯」を掌る陸軍省第六局(翌年再び参謀局と改称)となった。さらに、1878年(明治11年)12月、陸軍省参謀局の廃止と参謀本部設置を機に、同部の地図課・測量課として拡充・改称された。 このように、一時期日本における測地測量は内務省地理局と参謀本部測量課により二元的に実施されてきたが、1884年(明治17年)6月26日、一連の太政官達によって地理行政の業務が整理され、内務省地理局から大三角測量業務を参謀本部に移管、以後、同局の主な業務は地誌編纂中心に縮小された。これに伴い参謀本部の地図課・測量課は「測量局」へと拡充(1884年9月)、さらに参謀本部の一局から分離され陸地測量部として本部長直属の独立官庁となるのは1888年(明治21年)5月である。全国規模の陸地部における測量を統括するという原則は第二次世界大戦終戦時まで継続され、1945年(昭和20年)には東京大空襲を受けて各部署毎に長野県松本盆地に分散疎開した。
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