明治から戦中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 21:10 UTC 版)
李樹延は朝鮮政府使節団の一随員として渡日し、4年間の滞在中に聖書を朝鮮語へ翻訳し出版を行った。日清戦争後朝鮮政府から日本へ派遣された留学生から成る大朝鮮人日本留学生親睦会編集の『親睦会会報』(1896年 - 1898年)や在東京朝鮮留学生学友会による『学之光』(1914年 - 1930年)が出版された。金東仁、朱耀翰らによる文芸誌『創造』(1919年)には日本語から重訳されたモーパッサン、ツルゲーネフ、グールモンらの翻訳が載っており、ヨーロッパ文学が日本語を介して紹介された。また、外国文学専攻の留学生たちによって機関誌『海外文学』(1927年)なども刊行された。 張赫宙は朝鮮農民が窮状に堪えかねて|蜂起に至る過程を描いた『餓鬼道』(1932年)で『改造』(1932年4月)に当選したものの、当初の農村振興運動は心田開発運動という皇民化運動に変質し、皇道朝鮮研究会の委員として親日文学に関わったことで批判される引用エラー: タグに対応する タグが不足しています。この頃、洪鐘羽(筆名・青木洪)の『耕す人々の群』、韓植の詩集『高麗村』が刊行された。
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