外国文学
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外国文学が安部公房に及ぼした影響について、埴谷雄高は『壁』の解説文のなかで「安部公房はハイデッガーから出発した。(中略) その後の彼はリルケを経て、サルトルとカフカとシュペルヴィエルの影響を強く受けたが、それは普通いわれる文学的な影響とはやや異なっている。空間の造形的表現が、彼の小説の方法論となった。」と書いている。 フランツ・カフカについて、安部は1956年 (昭和31年) と1964年 (昭和39年) の二度にわたる東欧旅行の途次に、彼の生まれた街プラハを訪れている。安部は初回訪問時にはまだ公認の作家ではなかったカフカが、再訪時には再評価が進み生家跡も発見されたことを知り、プラハにおけるカフカの位置についてのエッセイを書いた。また、1980年 (昭和55年) には中野孝次との対談で「カフカは世界そのものの存在を提出しえた、途方もない作家だったと思う」と述べている。 エリアス・カネッティが1981年にノーベル文学賞を受賞した際に関心を持ち、高く評価した 。同じ頃に親友であるドナルド・キーンの薦めでコロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケスを読み、その作品に衝撃を受ける。以後、安部は自著やテレビなどで盛んにカネッティやガルシア=マルケスを紹介し、彼らの作品を一般読者にも広めた。 上記のほか、晩年まで箱根の仕事場に置かれていた愛読書には、イーヴリン・ウォーの『ガイアナとブラジルの92日間』、コンラート・ローレンツの『鏡の背面』、アラン・ロブ=グリエの『幻影都市のトポロジー』、クリフォード・アーヴィングの『贋作』などがある。
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外国文学
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一方、外国文学作品も多数刊行された。特にハインリヒ・ベル、インゲボルク・バッハマン、ギュンター・グラス、ウーヴェ・ヨーンゾンら47年グループの作品、ロベルト・ムージル(オーストリア)とライナー・マリア・リルケ(オーストリア)のほとんどの作品のほか、ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ、イタロ・カルヴィーノ、カルロ・エミーリオ・ガッダ(イタリア語版)(以上、イタリア)、ジョン・アップダイク、ジョン・アーヴィング、ロバート・クーヴァー、トマス・ピンチョン(以上、アメリカ)、ウィリアム・ボイド、ヴァージニア・ウルフ(以上、イギリス)、ディラン・トマス(ウェールズ)、エルネスト・サバト(アルゼンチン)、カミーロ・ホセ・セラ(スペイン)、ガブリエル・ガルシア=マルケス(コロンビア)、ジョゼ・サラマーゴ(ポルトガル)、ヨーゼフ・ロート(オーストリア)、アレクサンドル・ソルジェニーツィン(ロシア)などであり、これらの作家のほとんどがアンヌ・フレイエ(Anne Freyer)が編集長を務めた「言語の賜物(Le don des langues)」叢書として刊行された。
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