外国方出仕とは? わかりやすく解説

外国方出仕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 13:39 UTC 版)

田辺太一」の記事における「外国方出仕」の解説

天保2年1831年)、儒学者幕臣田辺誨輔(石庵)の次男として生まれる。18歳昌平坂学問所昌平黌)に学び優秀な成績収めて甲府徽典館教授となる。安政4年1857年)、長崎海軍伝習所第3期生として学ぶ。 安政6年1859年)、幕府外国方に召し出され書物出役となり、外国奉行水野忠徳の下で横浜開港事務関わる当時アメリカ合衆国イギリス小笠原諸島領有権主張し始めていたことを受け、中浜万次郎ジョン万次郎)が領有捕鯨基地化を提案しており、同島嶼精密な調査が必要となっていた。そのため文久元年1861年)、水野忠徳が自ら咸臨丸艦長小野友五郎)で同諸島赴任測量行った際も、田辺外国奉行支配調役並に任ぜられ随行した。この測量小笠原諸島日本領有大きな手がかりとなる。

※この「外国方出仕」の解説は、「田辺太一」の解説の一部です。
「外国方出仕」を含む「田辺太一」の記事については、「田辺太一」の概要を参照ください。

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