外国映画の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 01:05 UTC 版)
山中は子供時代から熱心なアメリカ映画のファンであり、自身の作品にもアメリカ映画から得たアイデアをたくさん採り入れている。例えば、『磯の源太 抱寝の長脇差』や『小判しぐれ』の雰囲気描写や殺人シーンの間接描写は、ルーベン・マムーリアン監督の『市街』(1931年)で用いられた表現技法を援用しており、『国定忠次』ではエドマンド・グールディング監督の『グランド・ホテル』(1932年)の影響を受けて、ホテルなどの特定の場所を舞台にしてそこに集う人間群像を描くグランドホテル方式という物語形式を導入した。『丹下左膳余話 百萬両の壺』における逆手の話術も、スティーヴン・ロバーツ(英語版)監督の『歓呼の涯(英語版)』(1932年)で用いられた技法を踏襲したものだった。 山中作品にはアメリカ映画からストーリーを参考にしたものが多い。『雁太郎街道』はフランク・キャプラ監督の『或る夜の出来事』(1934年)を翻案した作品である。さらに『丹下左膳余話 百萬両の壺』は『歓呼の涯』、『街の入墨者』はエルンスト・ルビッチ監督の『私の殺した男(英語版)』(1932年)とエドワード・スローマン(英語版)監督の『フランダースの犬(英語版)』(1935年)、『森の石松』はウィリアム・ウェルマン監督のギャング映画『民衆の敵』(1931年)とジョン・フォード監督の『男の敵』(1935年)から、それぞれストーリーのヒントを得ている。映画評論家の滝沢一は、山中のストーリーテリングがダグラス・フェアバンクス主演の活劇映画の作劇術の骨法を踏まえており、それにアメリカのコメディ映画のテクニックをとりいれてコメディタッチなものにしていると指摘している。 山中はアメリカ映画だけでなく、ヨーロッパ映画からも影響を受けている。『人情紙風船』はジャック・フェデー監督の『ミモザ館』(1935年)を下敷きにしており、同作を含む1930年代のフランスの詩的リアリズム映画から、第二次世界大戦前の閉塞感を反映したペシミスティックな人間描写の影響を受けている。山本によると、山中は日中戦争従軍中にジュリアン・デュヴィヴィエ監督の詩的リアリズム映画『地の果てを行く』(1935年)をヒントにして戦争映画を構想していたという。また、映画評論家の相川楠彦は、『小笠原壱岐守』におけるリズミカルな画面転換の方法が、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督作品などのソビエト映画の影響を受けていると指摘している。
※この「外国映画の影響」の解説は、「山中貞雄」の解説の一部です。
「外国映画の影響」を含む「山中貞雄」の記事については、「山中貞雄」の概要を参照ください。
- 外国映画の影響のページへのリンク