外国映画への進出
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1970年代初頭からフィリピンで撮影された外国映画にも出演する様になり、エディー・ロメロやシリオ・H・サンティアゴが製作、監督の米国との合作映画にも出演した。ジャック・ヒル監督の『残虐全裸女収容所』(1972年)辺りが最初で、メナヘム・ゴーラン監督の『燃えよNINJA』(1981年/未/ビデオ/TV放映)、『デルタフォース2』(1990年)と言った米国映画からアントニオ・マルゲリーティ監督の『コマンドー・レオパルド(コマンドー軍団2)』(1985年/未/ビデオ/TV放映)、『インディオ』(1989年/未/ビデオ)のイタリア映画にも出演した。堂々とした風貌から権力者の役どころが目立った。また、ジャッキー・チェンやアンディ・ラウ、サモ・ハン・キンポー、ジミー・ウォング等の香港スターが出演した台湾映画『炎の大捜査線』(1990年)にも警官役で出演したが、クレジットされなかった。
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外国映画への進出
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「ジョーニー・ガンボア」の記事における「外国映画への進出」の解説
フィリピン映画のみならず、自国で撮影された米国映画にも脇役出演した。スカルノ政権末期のインドネシアを舞台にしたピーター・ウィアー監督の『危険な年』(1982年)やキャノン映画の『燃えよNINJA』(1981年/未/ビデオ/TV放映)と『地獄のヒーロー』(1984年)、ベニグノ・アキノ暗殺事件を題材にした米・英・比合作のTVミニ・シリーズ『8月の銃弾』(1988年)等にも出演した。尚、当時活発だったブルーノ・マッテイ監督等のイタリア映画へはフィリピンの俳優も積極的に出演したが、彼の出演は確認されない。
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外国映画への進出
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「ルエル・ヴァーナル」の記事における「外国映画への進出」の解説
フィリピンで撮影されたイタリア映画『インディオ』(1989年/未/ビデオ)ではクレジットされなかったが、現場監督役で登場した。アントニオ・マルゲリーティ監督がアンソニー・M・ドースンの変名を用い、アマゾンの乱開発に反抗するインディオの青年の戦いが描かれた。アンソニー・クインの息子のフランチェスコ・クインが主演で、ボクサーのマーヴェラス・マーヴィン・ハグラーや『ランボー』(1982年)の保安官役で知られるブライアン・デネヒー、フィリピンの国際派女優のテッチー・アグバヤーニ等が脇を固めていた。 米国映画にはチャック・ノリス主演の『デルタフォース2』(1990年)に端役出演した。コロンビアが舞台の麻薬戦争物で、ヴェルナールはビリー・ドラゴ演じる麻薬王の用心棒の一人としてだった。フィリピンで撮影されたために、ボディビルダー出身のローランド・ダンテスやボクサー出身のクリス・アグィラーと言った屈強な容姿の俳優も用心棒役に起用され、喜劇俳優としてフィリピンで高名なスバス・ヘレロも大統領役で出演していた。
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