明治から太平洋戦争期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 05:44 UTC 版)
明治5年(1872年)に生野銀山、明延鉱山と共に官営となるも稼行せず、明治29年(1896年)に三菱合資会社に払い下げとなる。その後も経営者を転々とし、昭和10年(1935年)に中瀬鉱業株式会社(現在の日本精鉱株式会社)による経営となった。同社は選鉱場を整備しつつ、坑道の再開発を行い優良な鉱脈を発見したことにより、産金量が大幅に増加した。また、軍需品に不可欠なアンチモンの産出量が全国の80%を占めていたことから昭和18年(1943年)アンチモン重要鉱山に指定され、太平洋戦争期、金鉱山整備令により国内の多数の金鉱山が閉山を余儀なくされる中でも操業を続けた。
※この「明治から太平洋戦争期」の解説は、「中瀬鉱山」の解説の一部です。
「明治から太平洋戦争期」を含む「中瀬鉱山」の記事については、「中瀬鉱山」の概要を参照ください。
- 明治から太平洋戦争期のページへのリンク